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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■インド人にビックリ/『膨張する事件』(とり・みき)/『バンパイヤ/ロックの巻/バンパイヤ革命の巻』(完結/手塚治虫)ほか
ここでまた、以前『華麗なるロック・ホーム』のときみたいに、映像化されたヒゲオヤジの歴史を辿る、ということをやってみようかとも思ったんだが、アナタ、ロックのときも持ってるビデオテープを何10本も引っ張り出し(ネットは資料的価値のあるページがほとんどなく、チョイ役までは記載されてないので、結局は現物に当たって確認するしかないのだ)、『アトム』モノクロ版をずっと早送りしながら見るなんてメンドクサイことやりまくって疲労困憊、すっかりいやんなっちゃったので、もう今回はそんなメンドクサイことはしない。
もう記憶だけで簡単に書いちゃうと、矢島さんのほかには、熊倉一雄(『アトム(新)』)、大塚周夫(『火の鳥2772』)、富田耕生(『マリンエクスプレス』)の諸氏が声アテしていたと記憶する。チョイ役を含めるとほかにもいろんな人がやってるだろう。実写版『アトム』や『バンパイヤ』とかはカンベンして。見返して確認する元気なんてない(^_^;)。確か本木雅弘版の『ブラックジャック』ではいかりや長介がヒゲなしでやってたよな。掏りの名人役で。
手塚治虫さんはキャラクターシステムを採用するにあたって、声優さんもできるだけフィックスさせるようにしていた。だからアトムはCMに至るまでいつも清水マリさんがアテていたし、御茶ノ水博士はナーゼンコップ博士の役を演じても声は勝田久さんだったのである。
ところがヒゲオヤジのようにこれだけ数多くの作品に出演しているキャラクターだと、声優さんのスケジュール的にもフィックスは難しくなってくる。結局、「役者」としてのヒゲオヤジのイメージは散漫なものになってしまっているように思う。
手塚治虫のメインキャラクターであるにもかかわらず、恐らくアニメ世代の人間にとって、ヒゲオヤジは、ほかの凡百の脇役と同列の、たいして印象に残らないキャラクターの一人にすぎない、と思われているのではなかろうか。悪役好きの私が珍しく、手塚キャラの「正義派」の中で好きだと言えるのがヒゲオヤジただ一人なので、そのように認識されてしまうのは残念でならないのである。
もっとも、私も最初、アトムやレオやサファイヤといった、ごくフツーの(と言っても手塚さんのヒーローはどこかで「歪んで」いるのだが)ヒーロー、ヒロインたちに目を奪われていたことは否定しない。しかしたとえ脇役であっても「ヒゲオヤジがいなければ」成立しなかった作品も、特に初期作品には数多く見られるのだ。
ヒゲオヤジの当たり役は、「私立探偵・伴俊作」である。ネーミングの由来ははっきりしないが、比佐芳武の「多羅尾“伴”内」と、甲賀三郎の「獅子内“俊”次」あたりからイメージしているのではないか。というのも、探偵とは言ってもこの二人は理知的なホームズや明智小五郎タイプではなく、活劇の主人公としての探偵、ニック・カァタァの系列に連なる探偵であるからだ。
見た目は冴えない爺さんが、柔道の技で悪人どもをなぎ倒す、それはそれでカタルシスはあったのかもしれないが、一般的にはヒーロー然としたキャラクターが活劇の主人公であった方が客受けはよかったのではないか。にもかかわらず手塚さんは初期の作品ほどヒゲオヤジを「便利に」使っていた。これはいったい何を意味するか。
ヒゲオヤジはしばしば「語り部」としての役を担う。『ロストワールド』でも『メトロポリス』でも、主役はあくまでケン一だ。しかし、そういった初期作品の多くで、主役たちはしばしば危難に遭い、作品によっては命を落とす。そして、彼らヒーローの愛や勇気や悲劇を読者に語り伝える役としてヒゲオヤジは配置されていた。
その最たるものは、『ジャングル大帝』でレオの肉を食って生き延びるラスト・シーンだろう。率直に言って、ラストのムーン山のエピソードは、事前に伏線が貼ってあったとは言え、物語の締めくくりとして特に必要な話とは言えない。パンジャ、レオ、ルネとルッキオという「命」の流れを語るだけならば、レオを静かに死なせてもよかったはずである。
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01月05日(日)
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