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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■You bet your life!/映画『とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』/『ゴジラ×メカゴジラ』
思うんだけど、ヒロインであるシェーラ姫のキャラクター造型にそもそもの失敗があるのではないか。いや、所詮ハムスターじゃん、というのはとりあえず置いとくとしても、サバクーニャ復活の原因作ったのがこいつの考えナシの行動だし、ワガママ姫の言動にハム太郎振りまわされっぱなしだし、最後は結局、ハム太郎からハムーハ王子に乗り返るし、アンタ、子供向けアニメのヒロインにこんな性悪女を設定するんですか(^_^;)。フツーはワガママに見えても実は寂しがり屋さんとか、そのキャラに「救い」を作るものではょうが。最後、ハム太郎に「ごめんね」のヒトコトくらいあっていいんじゃねーのかシェーラ姫。しばくぞ。
そんでもって、シメが本当のハム太郎の故郷はロコちゃんのところって……『青い鳥』っつーか『オズの魔法使』っつーか、最後まで工夫ナシのパクリですか。……もう溜め息しか出ませんね。
前座がこのテイタラクだと、否が応でも『ゴジラ』本編に期待しちゃうものです。ゴジラシリーズももう26作。けれど、我々の世代がゴジラをゴジラとして認識してるのって、ホントに昭和ゴジラも前半、初期のゴジラ、5、6作程度なんだよね。なんたって「東宝チャンピオン祭り」で『キンゴジ』も『モスゴジ』も『三大ゴジ』も全部見てるから、新作の『ゴジラの息子』や『怪獣総進撃』、『オール怪獣大進撃』より、昔の特撮の方がよっぽどいいじゃん、と子供心に理解していたのだ。もちろんこれは、円谷英二とそのお弟子さんたちの力量の差に起因してることだったんだけど。
ましてや昭和後期シリーズや平成ゴジラシリーズは本家会社が作ったパチモンにしか見えなかったわけで。
でも、出だしの緊迫感はなかなかのものでしたね。
1999年、1954年以来45年ぶりのゴジラ襲来に浮き足立つ特生(特殊生物対策)自衛隊。陰鬱な空の描写、やがて来る嵐、大雨の中、埠頭に現われるゴジラ2世。……ちょっとワクワクしたんだけど、テレビレポーターの後ろからゴジラの頭部が現われるシーンで拍子抜け。もういやって言うほど繰り返されてるシチュエーションなんでつまんなかったってこともあるけれど、それより何より問題なのは、遠近法に失敗してるという初歩的なミス(^_^;)。ゴジラ、すげえ小っちゃいんでやんの。本編に入って街を破壊し始めるまで、今回のゴジラってせいぜい10メートル? とか思っちゃったし。
もちろんここでの演出の目的は、ヒロインの家城茜(釈由美子)が、ゴジラ攻撃に際して誤って同僚を殺してしまう、そのシークエンスを描くことにある。なぜ茜がゴジラと戦おうとするのか、その動機を観客に納得させるためには当然必要なことだ。
けど、これ、別に茜が殺したわけじゃないじゃん? どっちかって言うと、浮き足立ってメーサー砲のそばに近づいてった葉山兄(森末慎二)の方がバカなだけって思うけどねえ。茜の操縦ミスと言っても、観客からはだの不可効力にしか見えないんだけどなあ。
茜、メーサー扱ってるんだから、彼女を「人殺し」として描くんだったら、メーサーで森末を殺さないとダメじゃん。ゴジラ射程内に森末の車輌があるのに気付かなくて撃ったとかさ。もちろんお子さま相手の商売だと、そんなの「残酷だ」ってことでできないんだろうけど(だったら最初から森末も殺すなよ)。
この段階での演出の「甘さ」が、このあとのストーリー全体の甘々感(という言葉は今作ったが)を象徴しているような気がするんである。
これからあとのトホホな展開はいちいち挙げてったらイヤになるくらい。
2003年、人工生物学者の湯原徳光(宅麻伸。このネーミング、ギャグのつもりか?)ほかの各界のスペシャリストたちが、ゴジラ対策のために政府によって召集される。このときこの湯原、一旦、その申し出を断るんだけどさあ、理由が「子供と一緒にいたいから」だよ。
オマエは人類の危機より子供のほうが大事かっ! 別にこれはマイホーム主義を非難してるんじゃなくて、映画の必然性について文句をつけてるんである。ゴジラなんて脅威でもなんでもない、みたいな印象を観客に与えてどうするのよ。しかも、政府高官、「子供を研究施設に入れてもいいですよ」とかとんでもないこと言い出すし。日本政府に機密保持の感覚はないのか。なさそうだけど。
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12月14日(土)
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