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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今から2ヶ月後のプレゼントで悩んでいる男の愚痴/『華麗なるロック・ホーム』(手塚治虫)ほか
 もう殆ど興味をなくしてたので、たいして耳にも入ってなかったのだが、あるヒトコトを聞いた途端、思わず椅子からコケ落ちそうになった。
 曽我ひとみさんが故郷である新潟県真野町に帰ってきたとき、出迎えた小学生くらいの子供たちが、「ひとみちゃ〜ん!」と声をかけたのである。
 先日、しげが「5人の人たちのうち、誰がアイドルになるかなあ?」と脳天気なことを言ってたとき、良くも悪くも卑近な日常感覚でしか物事を捉えることができない日本人の性状からすれば、そういうこともあろうかと予測はしてたが、それがもうここまで象徴的に現れようとは……(^_^;)。
 多分、この「ちゃん」づけに対して違和感を覚える日本人は少数派であろう。私はもちろん違和感を覚えるものであるが、別にイイおトシの女性を「『ちゃん』付けするな」などと言いたいわけではない。あの町ではまさしく曽我さんは拉致された19歳のころのまま、24年という時間は動くことなく、「ひとみちゃんはどうしているかねえ」と、家々で会話されてきたのだ。
 だから、曽我さんが帰ってきたとき、ごく自然に子供たちは「ひとみちゃん」と彼女を呼んだ。それは確かに自然な感情の流れではあった。
 だがそれが、彼女のこの24年の人生の否定であることもまた事実である。以前も書いたことだが、拉致被害者たちが被害者のままであの国で生きてこれたはずはないからだ。彼女たちはもう人生の半分以上を北朝鮮人として生きてきたのである。
 彼女たちの抱えている問題はただ故郷に帰ってきたから、で終わるものではない。北朝鮮に残された家族をどうするか、という難問が控えている。なのにあの「ちゃん」はそれらの問題を全て無視している。そしてあの子たちのこの「暴言」を町のオトナたちが誰一人たしなめず、また報道も何の違和感も持たずに放送したのだ。それがいったい何を意味しているか。
 ……なんかこれ以上は書きたくないなあ。
 いや、今後、拉致事件の報道が流されるたびに同じこと考えちゃうんだろうなあ、とわかっちゃったんで、気が重くなってるんだけどもね、つまり、もうこの国は国全体が集団ヒステリーに陥っちゃってるってことなんであるよ。
 ヒステリーは必ずしも感情の爆発という形でのみ現れるものではない。その感情の爆発を内包したまま、一触即発の状態で推移している場合もある。少なくとも、テレビを初め、マスメディアの中では、「被害者5人、北朝鮮に送り返してもいいんじゃない?」という意見は全く語られなくなっているではないか。仮に語ればその人に対してどんな攻撃が来ることになるか。「お前は北朝鮮の味方をする気か!」というのが代表的な罵倒であろう(2ちゃんねるあたりではそういう話も出てるんじゃないかと思うけど、怖いから覗いてない)。けどそれって、「日本は大戦中、朝鮮に対していいこともした」という発言に対して北朝鮮・韓国が激怒するのと同じ感情の流れの果てにあるコトバなんだけれどもね。
 北朝鮮は絶対の悪であり、民主主義を標榜する日本は絶対の正義である。そういう図式を無意識にみんなが受け容れてしまってる状態を冷静ではない、と判断することのどこがおかしいだろう? 私は別に北朝鮮の肩を持つ気はないが、日本政府が「拉致被害者の家族」を気遣ってはいても、「拉致被害者」本人たちのことを気遣ってはいない、ということは紛れもない事実であって、それを指摘をしているだけのことである。
 また単純なやつは、北朝鮮人として育ってきたアチラの家族も日本で引き取ればいい、と簡単に考えてるんだろうなあ。例えばアナタがいきなり「実はオマエは北朝鮮人なんだよ」と言われたとして、見たこともない、政治体制も環境も違う故郷に帰りたいと思うものかどうか。そのあたりの報道が全くなされていない現状は「言論統制」がされてると判断するのが妥当ではないかと思うがどうか。
 ……こんな小さな日記のみのサイトだけど、私のこの意見にもクレームつけてくるバカっているかなあ。もしいれば、逆にこの国がホントに病気に犯されてるってことの証明になっちゃうんだけれども。
 

 記念日の食事は焼肉食ったからもうよかろう、と思っていたが、仕事から帰ってきたしげが、なぜかつまんなそうである。
 「あーあ。今日が終わる」

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10月21日(月)
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