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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか
 その後、那珂川透、薔薇小路刺麿、中川淳一、中川透(これは本名)、宇多川蘭子、Q・カムバア・グリーン(“cucumber green”のシャレ。キュウリは緑って、確か目の前のキュウリを見て思いついたとかそんなだったような)、藤巻一郎、猿丸二郎、畷(なわて)三郎、五反田四郎とペンネームを変え続け(不遇の時代が長かったのである)、昭和31年(1956年)、書下し長編探偵小説全集の新人募集懸賞である“13番目の椅子”に『黒いトランク』が当選、これが日本推理小説ベストワンに推される事も少なくない傑作として、今に至るも読み継がれているのである。このときペンネームを「鮎川哲也」とした。
 この後、アリバイ崩しを中心とした鮎川哲也の本格ミステリの傑作群が次々と発表されていくのである。

 およそ、推理小説ファン、ミステリファンを名乗るもので、鮎川哲也を読んだことがない、というのはまさしく恥であろう。赤川次郎や内田康夫や西村京太郎や山村美紗なんか一冊も読まなくてもいい。特に、『黒いトランク』を読んだこともないのに「私、ミステリが好きなんですぅ」なんて言おうものなら、簀巻きにして那珂川にたたっ込まれても文句は言えない。
 創元推理に鮎川哲也賞が設けられ、乱歩賞ほど有名でないにもかかわらず、「本格推理作家」を標榜する人々が多数応募し、デビューしていっているのも、「鮎川哲也」の実力があったればこそなのである。
 「鮎川哲也と土屋隆夫の本がベストセラーになるようでなければ、本当の意味で推理小説がブームになったとは言えない」とはミステリファンの中ではよく囁かれたものだったが、そのことを考えれば、日本には未だにミステリブームなんてものは起こったことはないのかもしれない。

 二十年ほど前、今はなき探偵小説専門誌、『幻影城』に、鮎川氏は戦前の探偵作家たちの消息を博捜して、『幻の探偵作家を求めて』というシリーズを連載していた。これが当時の私にとってどれだけ楽しみだったことか。
 林不忘の弟にして長谷川四郎の兄、ファンタジーの名手、地味井平造。名探偵青山喬介シリーズの本格派、大阪圭吉。江戸川乱歩の影武者として『蠢く触手』を書いた岡戸武平。ドジな弁護士、花堂琢磨シリーズの葛山二郎。せんとらる地球市の住民、星田三平、などなど……。それはまさしく「発掘」に近かったが、日本の探偵小説界がこれほどの鉱脈を持っていたことは、鮎川氏の存在がなければ、更に何十年、あるいは永久に埋もれたままであったろう。
 当時刊行された『「新青年」傑作選』のオビには彼らの写真が載っているが、いやにトシヨリ顔のものが多いのは、このときの取材時に撮られたものが多いからである。

 生真面目な本格派、と評されることが多いが、一種独特なユーモアもその作品には横溢していて、『死者を笞打て』では、知り合いの作家たちがパロディになって登場する。権田萬治は万田権治、星新一は星野新一、大藪春彦が大虻春彦。からかわれた本人たち、表面上はにこやかにしてたとは思うけれど、内心、ちょっとくらいはむかっ腹が立っていたのではないだろうか。
 後に、鬼貫警部は、小林信彦の『オヨヨ大統領』シリーズや江口寿史のマンガ『名探偵はいつもスランプ』で、「鬼面警部」の名前でパロディにされたが(江口の、名前は「鬼面」なのに、顔は童顔、というキャラが秀逸)、鮎川さんがもしそれらを読んでいたら、結構楽しんだだろうと思う。もちろん、「鬼貫」の名前は、俳人上島鬼貫から拝借したもので、別に「鬼のような刑事」を意図して作った訳ではない。作者本人は「鬼」という言葉が好きで、揮毫までして額に飾っていたようだが。
 鬼面と並ぶキザな探偵、ファイロ・ヴァンスもエラリー・クイーンもかくやというディレッタント、星影龍三は、戦前の帝国キネマ製作の『怪紳士星影』に登場する和製ルパン、星影龍三の名前をそのままいただいたものである。もとがルパンなら、多少ナルシスティックな面を見せるのもいたし方のないところか。

 鮎川氏の作品には、裏切られるということがなかった。
 本格もの、倒叙もの、ユーモアミステリー、ジュブナイル。

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09月26日(木)
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