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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■復讐正露丸/『快傑ズバット』第一話/『芥川龍之介 妖怪文学館』/『秘宝耳』(ナンシー関)
芥川の怪奇小説の分析能力に関しては、解説の東さんも力説してるけれども、まさしく慧眼、当時の第一人者と言ってもよかったのではないか。メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』も、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』も芥川は読んでいたし、しかも「怪奇小説としては駄作」と切って捨てている。このことについては、原典を読んだことがある人には理解できると思うけれど、ゴシック・ロマンとして面白くはあっても、怪奇小説としてはクドイばかりでちっとも恐くないのだ。この二作は映画化作品があまりに有名になっちゃっために原作まで過大評価されてるところがある。
芥川が第1級の怪奇作家と誉めているのは、エドガー・ポーや、アンブローズ・ビアス、M.R.ジェイムズ、アルジャーノン・ブラックウッドあたり。『新青年傑作選』あたりを読まないと今ではなかなか読むことの出来ない作家もいるが、当時でもこのあたりの作家に食指を伸ばしていたというのは珍しい。この「なんでも読む」姿勢は師の夏目漱石に通じるものがある。こうなると、ラブクラフトも読ませてみたかったなあ。
果たして、当時のブンガク作家たちでこれだけ怪奇小説に造詣の深い人間がどれだけいたことか。芥川以外は怪奇小説のアンソロジーを編んだ岡本綺堂くらいのもんじゃないのかね。師匠の夏目漱石が49歳の若さで死なず、昭和の世まで生きていたら、芥川もキチンと評価してもらえて自殺しなかったかもしれないな。
本書の巻頭に載っている『妖婆』、これ、佐藤春夫からケチョンケチョンに貶されて芥川はすっかり落ちこんじゃったやつである。佐藤さんもロマンチシズムの作家のように見られてるけれども、実際には結構理詰めで作品書いてる人なんで、『妖婆』が作品としてどうこう、というより、同じ理知派の代表と見なしていた芥川が、得体の知れない妙ちきりんなものを書いたってこと自体、気に入らなかったらしい。
でも、実際に読んで見れば分るけれども、書き出しなど、「都会の恐怖」の本質をつかんでいる名文である。残念ながら結末の付け方があっさりしていてあまり恐くないけれども、駄作とまで断じるのは早計だろう。
何より、『河童』は芥川のユーモアとホラーの両面が融合した集大成だろう。ラストなどは、東宝映画の『マタンゴ』にも影響を与えていると思しい。本書は、ブンガクなんてツマンナイんじゃない? って思ってる人にはその思い込みを転換できるきっかけになる一冊であると思う。
巻末収録の怪談会・座談会もレアもの。芥川全集にも未収録のやつじゃないかな。メンツの豪華さと言ったら、泉鏡花・久保田万太郎・白井喬二・長谷川伸・平山蘆江・菊地寛・柳田國男……といった人々が、それぞれの持ちネタを披露してくれてるのである。こんなのが今まで日の眼を見てなかったってのは、ブンガク研究者がどれだけ不勉強かってのを露呈してるよな。大学でブンガクブに進もうなんて考えてるやつは、須らく明治から文学史を全部読み変えてく必要があるだろうな。
ナンシー関『秘宝耳』(朝日文庫・546円)。
『小耳にはさもう』文庫化第5弾。
出版予定は生前からあったはずだが、結果的にこれが追悼出版の形になった。
解説を「ナンシー関」の名付け親、いとうせいこう氏が担当しているが、あまりにも悲しい名文。そして、第1級のナンシー関論である。
「もしも本当に彼女がいなくなってしまったとするなら、我々は社会から正論を失ったということになる」
これは既に怒りだ。事故で死んだわけでも、誰かから殺されたわけでもない。けれど、なぜナンシーさんが死なねばならなかったか、その事実を認めたくない思いは怒りという形でしか発露しえなくなっている。
本書の内容は、1999年から2000年にかけてのものが多い。
よくもまあ、これだけヒトの言葉の揚げ足取りが出来るものだ、と鼻白む思いをしていた人は多いのかもしれない。いや、確実にいたはずである。でなければナンシーさんの言質を単純に「毒舌」というコトバで括れはしなかったはずだと思う。
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08月02日(金)
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