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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■それさえも平穏な日々/『脱ゴーマニズム宣言』(上杉聰)/『潜水艦スーパー99』(松本零士)ほか
著作権法におけるマンガの引用権が明確に認められた点については、この判決はもう諸手をあげて賛同を示したいことだ。小林さんの『新ゴーマニズム宣言』での反論はもう支離滅裂、常軌を逸していると言われてもしかたがない慌てぶりだったものね。それもしかたがないところで、この本、小林さんの慰安婦についての論がことごとくいい加減で、資料の誤読、牽強付会ぶりをいちいち指摘していてそれが実に的を射ているからだ。これに再反論するのはなかなか難しいわなあ。
では、本論である「慰安婦」問題についてはどうか。
小林さんの(他にも同じこと言ってる人いるけど)「慰安婦は商行為」という論理は、たとえそれを認めたとしても補償の対象にならないとは言えないだろう。商売してても、使用人がヒドイ待遇受けてたら補償せにゃならんでしょうに(^_^;)。
それに「軍の関与はなかった」というのは当時を知ってる人が聞けば一笑に伏すしかない暴論。もとからそこに娼館があったのならともかく、軍部が来ることになって建設し、軍人しかそこを利用してなくて、行軍にも付いて行かせたんだから、軍の関与がないわけないじゃんか。まだ生きてる人がいるんだから、こういうすぐバレるウソをついちゃいかんよねえ。
と言うことで、同じ博多出身で身贔屓したい小林さんではあるけれど、慰安婦問題に関しては小林さんの意見に賛同はしがたいのである。
けれどじゃあ、上野さんの意見に全面賛成、というかというと、そうでもないのだ。論理が破綻している点では、実は上野さんの文章も相当ヒドイ。
例えば、肖像権の問題について、「公的場にいる安倍(英)氏のような者が表現の対象となることは許されるべきだ。しかし、私的な一個人を描く場合には、おのずと限度というものがある」と主張するのはそりゃそうだと思う。けれど、その「私的な一個人」の例として、川田龍平、佐川一政、麻原彰晃、梶村太一郎、佐高信、糸圭(すが)秀実、西部邁、鳩山由紀夫を挙げてるのはどういうわけなのか? この中に一人でも「私的な一個人」がいるのか?
もともと、この上野さんは小林さんを自分たちの陣営に取り込もうとして失敗した左翼の人だから、イデオロギー先行の思考をするところが多々あって、このあたりの論理の破綻も、まずは「小林批判」をしなければならないってアタマがあって、よく言葉を吟味しないで論を組みたてたための齟齬だろうと思われる。私ゃ左翼の人達が本気で慰安婦問題を考えてるとは到底思えない状況を知ってるので、こういう我田引水な文章にぶち当たると、またかい、と思っちゃうのだな。
細かい批判をしていったらこれもキリがないから、総論的に言っちゃうけど、「従軍慰安婦」と言うのは当然いたのである。否定のしようもない事実であり、日本の罪だ。それは間違いない。
では、カミングアウトした朝鮮人慰安婦への国家補償がなぜできないかと言うと、これもちゃんと歴史を知っている人間なら自明のことなのだ。それは別に「補償はもう終わった」ってことじゃなくて、それをやりだすと「日本人慰安婦の補償はどうなるか」って問題が浮上しちゃうからなんだよねえ。
日本のおばあちゃんたちの中には、今もなお、あのころの慰安婦たちが生きていて、それをカミングアウトしないまま暮らしているのである。もう過去の傷に触れてほしくないと思っている彼女たちに、周囲に悟られないように補償だけをするというのは不可能なことだ。日本人慰安婦への補償が始まれば、当然、好奇と偏見の目に晒されることになる。そんな目に会うくらいなら、黙って死んでいったほうがいい、そう考えるのが日本人の精神性なのである。白黒ハッキリさせないと気がすまない朝鮮人の精神性とは天と地ほども違う。
日本、朝鮮双方の意志を満足させられる方法は存在しない。だから、よくないことは分っていても、日本人への補償ができないように、朝鮮人への補償もできないのだ。どんなに非道であっても、国としての立場はそんなものだ。
朝鮮人に憎まれることを覚悟の上で補償を拒絶せざるをえないのは、日本という国が未来永劫贖罪できないまま背負って行くしかない業なのである。
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07月17日(水)
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