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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■劇団始動……か?/『電人ザボーガー』1・2巻(一峰大二)/『カムナガラ』4巻(やまむらはじめ)ほか
悪之宮博士が、アリを飼っていて、その手足を潰して楽しんでる描写などは、『スペクトルマン』にも同様のシーンがある、一峰さんお得意のモチーフ。要するに弱い者イジメなんだけれど、これはピープロの、というより一峰さん自身の正義感が生み出した描写だろう。
「悪」とは何か、「正義」とは何か。悪とはつまり、弱者を虐げるものであり、正義とは弱者を守るものである。それだけを聞くと、随分単純な絶対悪、絶対善の価値基準の世界のように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。それは、正義が悪に破れるパターンを描く時、一峰さんの絵に特に力が入るところでもわかる。
『スペクトルマン』で、蒲生譲二はしょっちゅう宇宙猿人ゴリに破れている。ムーンサンダーの回では、一度、完全に死んだ。その回のラストのコマは1ページを使ったゴリの高笑いである。絶対的な悪の前では正義は往々にして無力であること、正義はただ汗を流し、うなだれ、歯噛みして悪の哄笑をなすすべもなく聞いているしかないこと、それは当時は実にリアルな描写であった。
また、善もまた悪をなすことがあることを、「ダストマン」や「クルマニクラス」の回では、テレビ版以上に一峰さんのオリジナルな解釈を加えて描いていた。実を言うと、私は『スペクトルマン』に関する限り、オリジナルであるテレビ版よりもマンガ版の方を圧倒的に評価している。
『ザボーガー』でもそういった描写がないわけではないのだが、残念なことにページ数の関係もあったのだろう、安易な結末、ダイジェスト的な展開で終わる場合が多く、マンガとしての完成度は『スペクトルマン』『ライオン丸』に一歩も二歩も差をつけられている。物語が単純に見えるのは、『スペクトルマン』に比べて、主人公が幼く描かれているせいもあるのではないか(大門豊がストロングザボーガーを作るために、松江健に向かって「きみのマシーンとザボーガーを合体させれば鬼に金棒」なんて頼みこむのもちょっと発想が幼稚なんじゃないか)。
それでも『ザボーガー』には、見捨てるに躊躇する魅力が多々残っている。悪之宮博士に利用され、主人公の大門豊をおびき出す囮にされてもなお、悪之宮を慕うミスボーグの健気さとかね(やっぱさあ、歯を食い縛って流す汗の描写がイイんだよ)。
一峰大二なんて知らない、という若い人も多いと思うけど、食わず嫌いしないでちょっと手に取って見てみてほしいのである。マンガ喫茶やネットカフェででもいいからさ。
マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』4巻(少年画報社/YKコミックス・520円)。
「侵略者」の正体、「さとがえり」の真の意味が今巻で明かされるが、侵略者と被侵略者の関係が実は逆であった、というパターンはもう、枚挙に暇がないくらい見て来ているので、ちょっと拍子抜け。
斎野が語っていることが真実なら、今は記憶をなくしている九谷、剣の一族としての記憶を取り戻したら、現代人としての倫理観との間で葛藤が起こると思うんだが、そこを今後どう処理するかな。
面白くなるかどうかはそこをうまく描けるかどうかにかかってると思う。
東京のこうたろうくんからお中元が贈られて来たので、お礼の電話をかける。お中元と言っても、中身は野菜ジュースの詰め合わせ。「栄養偏らせてんじゃねーぞ」という意味で、贈答品というより見舞い品である。しげ、ちゃんと飲めよ。
久しぶりに声を聞くので、期分が高揚したのか、気がついたら発言がいささか暴走する。オタク話だの、ここには書けないヤバい話など(^o^)。
『クローンの攻撃』を「スゲエぜヨーダ、クリストファー・リー!」と、思いきり誉めて話しておいたので、こうたろうくんもきっと見に行ってくれるであろう。私一人が前半の「アナキンいじいじ物語」に付き合う苦痛を味わうというのは不公平というものである。
07月14日(日)
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