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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか
 だいたい、評論ってのは読んでてそんなに面白いものではない。
 ただの感想なら「ふーん、アンタがそう思ってるだけでしょ?」と言われりゃそれまでだから、評論それ自体が「読み物」として面白くないと読者はワザワザ手に取って見ようという気にならないのである。
 いしかわじゅん・唐沢俊一・米沢義博の諸氏も、それぞれにマンガ評論があるが、あとが続かない。となると、今、最も意欲的かつラディカルに評論本を出し続けているのは「呉智英」ということになるのではないか。
 呉氏は評論の有効性について次のように語る。
 「もちろん、最終的な評価は読者一人一人が決めることである。しかし、評価を決めるに際し、適切な評論や解説は必要なのだ。外国の小説を原書で読むには辞書が必要である。これと同じことだ」
 当たり前のことを普通に語ってるだけなんだけれど、これが現実問題として過激な言質に受け取られてしまうのは、それだけ受け手である読者が傲慢になっている証拠だろう。あるいは脆弱な自分の精神を守るために頑なになっているのか、自分の好き嫌いだけを絶対に主張して、他人の価値観を入れようとしない。
 マンガ読者にはその傾向が特に強いように思う。その風潮を吹き飛ばすためにも呉さんにはもっともっと頑張ってほしい。

 『ダ・ヴィンチ』連載のこのマンガ評論集、秀逸なのはマンガと活字本とを同一の俎上に乗せて、多角的な視点で作品世界のモチーフを浮かびあがらせていく手法だ。
 作品世界の中には実に様々な情報があり、必ずしもそれがメインテーマとは関わりがなくとも、「時代の象徴」として作者自身、無意識のうちに表出してくることがある。それを小説との比較によって明確化することで、飛ばし読みをしていた時には気づかなかった新しい視点を読者は得ることができるのだ。
 例えば唐沢なをきの『怪奇版画男』と森鴎外の『百物語』を比較し、「くだらない、意味がないから面白い」と説く。活字史上主義者が聞けば、「文豪鴎外とどこの馬の骨かわからぬマンガ家とを同等に扱うとは何ごとか!」と激昂しそうだが、ホントにこの『百物語』という小説、徹頭徹尾作者の分身と思しい主人公がぼんやり取りとめもないことを考えてるだけの作品なのだ。
 というか、実は鴎外にはこの手の小説が意外に多い。『舞姫』や『阿部一族』、『高瀬舟』と言った作品ばかりが云々されて、鴎外は近代の苦悩の象徴みたいに言われることが多いが、「別に難しいこと考えたって人生面白くないしー」と、本作や『寒山拾得』みたいな小説も書いているんである(『寒山拾得』は日本文学史上屈指のまぬけ小説なので、まぬけギャグが好きな人は読んでみよう)。
 人生の苦悩を描くものがブンガクだ、と思い込んでいた人にとっては、目からウロコであろう。多分この本読んだあとはウロコが軽く10枚くらいは落ちると思うから、マンガ好きはぜひ読んでみよう。ただし、評論という性格上、ネタバレが圧倒的に多いので、まだ読んだことない本の批評を読む時には気を付けるように。
 『くだんのはは』も、引用の絵も文章でも、しっかりオチをバラしてるんだもんなあ。 

06月10日(月)
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