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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか
両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べること。
クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すこと。
サンマルタン運河で水切りすること。
そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。
つまりはアメリはフランスの“不思議ちゃん”なのである。
こういうコミュニケーション不全の不思議ちゃんのリアリティを創作するってのはなかなか難しいものだけれど、フランス映画はそういう「ちょっとヘンな人」を描くことにかけては世界一なんじゃないかってくらいに上手い。
それはもしかしたらフランス人はヘンなやつばかりってことなのかもしれないな(^^)。
だから、アメリの周囲の人たちもみんなヘンな人たちばかり。
モンマルトルのカフェ“ドゥ・ムーラン”のマダムは元サーカスの曲馬乗り。
煙草売り場のジョルジェットは鬱病気味。
骨をポキポキ鳴らすのが好きなウェイトレスのジーナ。
ジーナにふられて嫉妬でストーカーになった常連客のジョゼフ。
夫が浮気相手と南米に逃走して事故死しているアパートの女管理人。
アーティチョークを宝石のように扱う食料品店のノロマなリュシアン。
一生をルノワールの贋作製作に捧げる“ガラス男”デュファイエル老人。
もう、こいつらが次から次へと紹介されるたびに、ワクワクしてくるんだよなあ。
「群像劇」というジャンルがある。
ゴーリキーの『どん底』あたりが代表的なヤツだけれど、特定の主役を作らず、特定のドラマも作らず、ただある特定の場所、ある特定の時間の中での人間模様を描く。
ただたくさんの人間が出てくるってだけじゃないのね。それぞれの人物にそれぞれ別々のドラマがあるのが特徴。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、キャラクターが全てが橋田壽賀子の傀儡でしかないような駄作は「群像劇」じゃないのだ。
一本筋を通すキャラがいたっていいんだけれども、ともかく出てくるキャラは全員が主役。そうでなきゃならない。黒澤明の映画は(特に山本周五郎原作のは)、『赤ひげ』も『どですかでん』も見事な群像劇だったねえ。
で、『アメリ』なんだけれども、ふとした偶然で、アパートの秘密の場所に隠されていた40年前の玩具の小箱を発見したアメリは、それを元の持ち主にこっそり届けてやる(このコッソリってところが、いかにも対人恐怖症なアメリらしいところ)。
持ち主が「奇跡が起こった!」と大喜びしたことで、アメリがすっかり勘違いしちゃうんだね。自分の人生の使命は、不幸な人々に奇跡の幸せをこっそりもたらしてあげることだと。
もちろん、それは一般的な感覚で行けば、「おせっかい」でしかないんだけれども、そのことにアメリは気付かない。そしてそのことが、かえってアメリの心を傷つけちゃうことにもなるんだけれど……。
何がいいって、このアメリを演じるオドレイ・トトゥ、この新人さん(モデル出身だそうな)が実に不思議ちゃんの雰囲気出してんのよ。
ショートボブの髪に長身の猫背。
美人……かもしんないけど、基準からはちょっと外れた感じの彼女が、首を突きだして、ニコッと笑う(しかし、全編通してこの子が喋るシーンがムチャクチャ少ない。このへんもリアルだよなあ)。笑うだけで、次の瞬間、「何かが起こるかもしれない」という予感を感じさせるんだよなあ。
さて、「人を幸せにしよう」というアメリにも気になる男の子が出来た。
遊園地のお化け屋敷とセックスショップで働くニノ(実は幼馴染)。
しかも彼には、スピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真を集める趣味がある。
こんなヘンテコな設定、よく思いつくなあ。
つまりは、ニノって、フランスのヘンなオタクなんである。
……セバスチャンか(^_^;)。って、ホント、セバスに雰囲気似てんだよ、細くて地に足がついてない感じで、演じてる俳優さんもそのまんま。
向こうのオタクって、やっぱり日本の「メガネデブ」みたいに、オタクになりやすいパターンってのがあるのかなあ。
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12月23日(日)
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