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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話
鴻上さんは教師になりたかったのかもしれない。しかしなれたとして、「よい」教師にはなれなかったろう(「よい教師」なんて概念自体、空中楼閣だが)。 なぜなら、鴻上さんには赤ひげのように「何もしない」ことが出来ない。
何かをしなければならないと思いこんでいる。
そして、何をすればいいか、正しく「よい教師」への道が見えていたからだ。
しかし、これが大いなる罠なのであって、目の前に見える道は、それがどこへ続く道であろうと、決して最善の道ではありえない。
それが現実だということを、「青二才」の鴻上さんは未だに知らないのである。
「ファントム・ペイン」とは、「幻肢痛」のことである。事故などで失われた四肢がまるであるように錯覚すること。切断面の神経が圧迫されているために起こる錯覚だ。それをタイトルに選んだ理由について、鴻上さんはこう語っている。
「例えば、ひとり旅とか、グループ旅行の思い出とかは延々語られていくわけだけど、別れた人と行った旅の思い出は二度と語られないと思うんだよな。
そういうのはもちろん俺にもあるし、誰でもある経験だろうと。じゃあ、その語られなくなった言葉は消えてしまったのか。いや、もしかして、ふたりが共有していたモノに閉じこめられているだけかもしれない。もし、そのモノに込められた“語られなくなった言葉”を読みとることが出来る人物がいたら……」
気がついているのだろうか、鴻上さんは。
そんな人物の存在自体が「幻肢痛」であるということに。
『スナフキンの手紙』の続編として書かれた本作は、「争いのない」平成の現代日本に飛ばされてきたパラレルワールドの人々が、かつての仲間たちと邂逅を果たすところから始まる。
かつて、この世界に飛ばされるきっかけとなった、インターネット上のサイト「やんすネット」を通じて語られていた謎の言葉、「スナフキンの手紙」。
それが、この世界にも「ある」というのだ。しかも、その言葉が語られているサイトの名は「やんすチャンネル」。
彼らは、その管理人に会おうとするが、彼は今まで20年も自室に「ヒキコモリ」の状態でいた。パラレルワールドの人々は彼を外に引き出すため、ヒキコモリの部屋を前にしての、「岩戸神楽」を試みていく……。
……お客さんはね、ここから大いに盛りあがってたのよ。
役者たちが次から次へとヒキコモリくんを呼び出すための方法が楽しくて。
「楽しいことをすればいいんだ!」
カンケリ、サッカー、フルーツバスケット、ミュージカル、etc.……。
どれもヒキコモリ君の心には届かない。
……届いてないのに、どうして観客はああも笑えるか?
いや、笑ってていいんだよ。
ヒキコモリくんも、そして舞台で飛びまわってる役者たちも、そして実は観客たちも、みんな「舞台」という名の部屋に引きこもってる人たちなんだから。
私がどうにも不快に陥ってしまったのは、このときのミュージカルシーンで、役者全員が唐突に「一緒に滅びましょう」と歌ったことだ。
このセリフは、ヒキコモリくんに投げかけられたセリフでもあるが、観客に投げかけられたセリフでもある。
それで一気に気持ちが覚めていった。
なぜ、私があなたたちと一緒に滅びなければならないのか?
コトバを逆転させようと、本質的な意味は変わらない。このセリフにあるのは陳腐な共同体幻想であって、鴻上さんがやったことは、「私たちと一緒なら幸せに慣れるよ」と誘うただの「宗教の勧誘」にすぎない。
そして、カーテンコール、「信者」たちがあちこちで立ちあがり拍手を送る。
……彼らの中のどれだけが、「一緒に滅びましょう」の意味に気付いたというのだろうか?
だからこその封印、ということなのであろうか。
劇団が封印されるだけではない。
観客もまた、「第三舞台のファン」という立場を追い出され、どこかに閉じ込められるのである。
かつて、第三舞台の芝居に熱狂し、公演のたびにかけつけていた同世代の客たちは、今、殆どいなくなっている。
小劇場ブームは、結局、一過性の流行現象でしかなかった。
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10月13日(土)
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