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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャックV』/『ドンキホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか
一応、ブラック・ジャックとドクター・キリコの「医者は何のためにあるのか」論争が交わされる。まあ、BJもキリコもとうの昔に警察にとっつかまってなきゃおかしいという至極マットウなツッコミは置いといて(^o^)。
「医者が体の病だけを治してもしかたがない。心の病も救えねば」というのと「医者が人間の命をどうにかしようなんてのはおこがましい」というのは理念上、矛盾しまくってるんだけどねえ。
蟹江敬三のシェフが、ガンそのものはBJに治してもらったんだけれど、味覚を失って絶望し、飛び降り自殺する。
ところが落下地点に飛び出した弟子の池内博之のおかげで一命をとりとめる。感激したシェフは死ぬことを思いとどまったけれど、今度は弟子が大ケガして命が危ない。しかも外国の首相の晩餐用に料理を作らなければならないのに、味覚は戻らない。
で、BJに弟子を治療してもらって、料理を作るのはシェフ、味を見るのは弟子という二人三脚でこの難関を乗り越えるのだ。
……ちょっと、ムリヤリドラマを作りすぎてるよなあ。BJのやってることって、結局自分の失敗の尻拭いだしね。
で、BJが苦悩するたびにキリコがどこからともなく現れて、「お前は間違ってる〜。安楽死させろ〜」って幽霊みたいに囁くのよ。
これに、ヒューマンなものを感じろって、そりゃちとばかしむちゃな話だ。展開的には「ホラーもの」と全く変わんないんだよ?
あっ、だから、ピノコが双子になってるのか。まんま『シャイニング』じゃん。
……つまり、『BJ』のコミックスに、かつて「怪奇コミックス」とサブタイトルが付けられていたように、これは現代の「奇談」として見たほうが面白い作品なのだね。
鴻上尚史『ドンキホーテのロンドン』(扶桑社文庫・650円)。
『SPA!』連載の『ドン・キホーテのピアス』の文庫化第4弾。
連載、単行本化、文庫化という過程を辿るので、実際に鴻上さんがロンドンに1年間の演劇留学に出かけたのは、1997年の9月から7月まで。もう4年前だ。
鴻上さんとは4つ年が離れているので、留学したときの鴻上さんは今の私と同い年、ということになる。
わあ、ロンドンに留学できたんだ、いいなあ、という感覚は私にはあまりない。鴻上さんの「将来、英語圏で自分の芝居を上演する」ことの意義を認めるに吝かではないが、伝統的なシェークスピア演劇が、日本の伝統芸能、例えば歌舞伎や能とよりもはるかに優れている、とは思いにくいからだ。
ちょうど今月の『言語』10月号が「シェイクスピア学の楽しみ」特集号なのだが、実はイギリスの伝統演劇、一端、17世紀に途絶している。王政復古により、初めてシェイクスピア研究が行われるようになったのであって、例えば『ハムレット』が初演時においては筋肉隆々、ヘラクレスのような知性と肉体を兼ね備えた男として演出されていた、なんてことは、近年の研究でようやく解ったことだったりする。
鴻上さんも書いていたが、1年間の留学で鴻上さんが知ったことは、「なんでい、みんな変わらないじゃないか」ということだったとか。
でも、そんなん行く前からわかりきってることだと思うが。というか、「文化的に劣った国日本」と思いこんでる連中の方がはるかに多い国から、何を学ぼうと言うのか。
実際には現場で経験しなければ分らないことも多かったかと思う。でもそれって、「反面教師」的なもののほうが多かったんじゃないかなあ。
けれど、鴻上さん個人に学ぶものがあったにせよなかったにせよ、結果的に鴻上さんの留学のおかげで、日本の演劇界の閉鎖的な雰囲気が少しは壊されていくのだったら、これは嬉しいことだ。
マスコミは、日本人が海外で成功している例をあまり嬉しがらない傾向がある。あるいは逆に過剰に評価しすぎるかの両極端だ。どちらの場合も、肝心の「芝居の中身」が置き去りにされているのが特徴だ。
この7月の、野村萬斎『まちがいの狂言』(シェークスピア『まちがいの喜劇』の翻案)のロンドン公演についても、その内容にまで踏み込んで紹介しているニュースはごく少なかった。「演劇」という分野そのものが日本では異端視されているのである。
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09月26日(水)
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