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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ま、映画さえ見られりゃいいんだけどね/『夜刀の神つかい』4巻(奥瀬サキ・志水アキ)
 多分、奥瀬さんは「がんばった」のだ。必死になって、自分の絵柄を模索して、天野さんの影響を脱したのだ。けど皮肉なことに、今度は奥瀬さん、「絵」についてしか語られなくなってきた。
 ……不幸だよなあ。
 2ちゃんねるの掲示板でも「自分で絵を描け」とか最近はよく書かれてたし、私の周囲の奥瀬ファンも似たようなことを言う。でも、デビュー当時から付き合ってきたファンなら、奥瀬さんの真骨頂は「絵」にはないということに気づいていてもよいはずなではないのか。
 『コックリさんが通る』でファンになったような連中は、うまくなりすぎた絵にかえって幻惑されているのだ。
 いや、ストーリーだって、永井豪やら夢枕獏やらに影響受けてるのは事実だ。
 吸血鬼と化したヒカゲの姿に、『デビルマン』の飛鳥了の姿を重ね合わせるのは容易だろう。ヒカゲは夕介を自分の仲間にはしたいが、かと言ってそうしたところで彼が自分になびくわけではないということも知っている。不動明の心に牧村美樹が住み続けていたように、夕介の心には菊璃がいる。
 そしてヒカゲは飛鳥了と全く同じセリフを夕介にぶつけるのだ。
 「お前に何ができる!! お前一人で何が出来るって言うんだ! 何も出来なかったじゃないか! みんな死んだじゃないか!」
 そうだ。
 菊璃を守ろうとした人々はどんどん死んでいっているのだ。それも『デビルマン』と至極似通っている。
 では、夕介は矢折れ力尽き果て倒れる結果になるのか。
 菊璃を守れぬまま終わるのか。
 しかし、私には、これは奥瀬さんが『デビルマン』を自分なりに越えようとする物語を作ろうとしているように思えてならない。奥瀬さんは一貫して、異形のもの、人間に受け入れられないもの、彼らのいるべき場所を探し求めるようなマンガを描いてきた人だ。それは相手が「低俗霊」であっても同様で、私は、巨乳マニアの低俗霊が、魔魅の貧乳に包まれて、「誰よりも小さなムネだったけれど、魔魅さんのムネが一番暖かかった」と言って昇天するというギャグが大好きだ(笑)。
 奥瀬さんは、夕介にも、ヒカゲにも、菊璃にも、生きるべき「時間」と「居場所」を与えるような物語を作ろうとしているのではないだろうか。
 普通のストーリー展開なら、ヒカゲは3巻あたりで自分自身の邪な恋自体に押しつぶされて滅びていてもおかしくはない。凡百の作家ならそうする(ジャンプ系はたいていそう)。
 しかし、この『夜刀の神つかい』のサブタイトルは『ヒカゲの時代』。そしてヒカゲは変わり果てた姿にこそなれ、死なずに「生き」のびたのだ。そこにあり続けることの苦しみ、哀しみ、やるせなさ、それを描いてなお、存在することの意味を奥瀬さんは問おうとしているのではないか。そう思う。
 異形となったものにすら生きるべき「時代」があるとすればそれはどういう時代なのか、奥瀬さんが出す答えが待ち遠しいのである。

09月20日(木)
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