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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修)
 しげに至っては私のこの日記を読んで、「この人、自分に『しげ』っていう奥さんがいるって妄想にとりつかれてる人みたいね」なんて言いやがるし。
 じゃあ、そう言ってるお前は何なんだよ。『粗忽長屋』の熊公か。
 ……そう言えば、AIQのエロの冒険者さんも、以前、某ちゃんねるで、女性と間違えられていたなあ(^.^)。
 こうやって日記を書いているということは、ある程度は自分の実像を錯覚されてもしかたがないと覚悟せねばならないのだろうが、どうして「私は男だ」と全身で表現してるような文章書いてるつもりなのに「女だ」と思われちゃうかな。
 もっとも、それで腹が立ったわけじゃないけど。あまり男がどうだ女がどうだなんてことに拘りたくはないんだよね。別にネカマになるつもりはないんで、自分のことを「男だ」って言ってるだけであってさ。
 でも、私のことを女だと思いたがる人については別に否定はしません。想像は読者の自由であります。

 「日記が続かない」現象が起きてしまうのは、まさしく、実像としての自分と、日記上に表された虚構としての自分、更には読者との人間関係をうまくコントロールできなくなった結果なのじゃないかと思う。
 そのことを唐沢さん自身、「日記上の自分」を「世の中とのしがらみで言いたいことも言わず、思ってもいないことを言う、その世間的存在としての自分の声が本当の声なのではないか」と書いた上で、以下のように説明していた。 
 「公開日記を書くという作業は、その、本音と世間との距離や位置関係を、自分で確認する行為でもある。よく、公開日記が途中で中断されたまま残骸のように放置されているサイトがあるが、あれはそういう距離をうまくとれずにしまった結果だろう」
 まあ、書き手が自分のことを「こんな風に思ってもらいたい」ってのはゴーマンだってことなんだよな。


 夜、なんとなく物寂しくなって、外出。
 しげと自転車で「ブックセンターほんだ」まで。
 夜中、自転車に乗るのは夜目の効かない私にとってはちょっと危なっかしい行為なので、本当は避けたいところなのだが、買い損なってる新刊もあるので、探しに行くことにしたのだ。
 行き道、突然しげが変なことを聞いてくる。
 「……歌舞伎町で火事があったよねえ。こないだから気になってるんだけど」
 「……何が?」
 「東京のこうたろうさん、火事に巻き込まれてないかなあ」
 思わずコケそうになる私。
 「住んでるところが違うじゃんかよ」
 「でも、台風が来てたときも、ちょうど書き込みとかなかったでしょ? 何か事故にあってないかなあって」
 ……バカだよなあ。
 その伝で行くなら、仮に私がハワイ旅行したとして、ロサンゼルスで地震が起きたら、津波で沈んでないかって心配しそうだよな。

 本を買ったあと、ロイヤルホストで食事。
 カロリーが高いものばかりだが、ステーキが意外と低く、500kcal程度しかない。今日は一日、仕事に追われて朝も昼も食えなかったので、思いきって頼む。
 いちいちカロリー気にしながら食べるのっての、どうにも侘しいなあ。
 こういうのがかえってストレスになりゃしないかと気になるぞ。


 米沢嘉博監修『コミケット叢書―02 マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(青林工藝社・1050円)。
 2000年2月と11月、2回に分けて行われた著作権に関するシンポジウムを収録、解説したもの。
 パネラーは、第1回がいしかわじゅん、高河ゆん、高取英、竹熊健太郎、とり・みき、夏目房之介、村上知彦、と、マンガ家・評論家中心。なかなか錚々たるメンバーだけれど、夏目さんの「引用」についての話を除けば、他の人たちの意見は感想の域を出ていない。「何がパロディで何がパロディでないか」というのは主観の問題なので、「法律上、どのように考えたらいいか」という視点で見た場合、あまり意味はないのだ。
 以前から思っちゃいたが、いしかわじゅんと高河ゆんが、パアの両極だってことはよくわかったな(^.^)。

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09月04日(火)
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