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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■性教育マンガ(* ̄∇ ̄*)/『フリクリ』2巻(GAINAX・ウエダハジメ)ほか
いつどういう形で終わってもいいようなスタイルにはなってるけど、実際に終わってしまうとなると寂しいなあ。
主役の二人、怪奇な事件に巻き込まれることが嫌いだ、みたいなことを言ってるワリに、自分からドツボにハマってばかりいるところが好きだった(特に古本マニアの紙魚子)。
でもやっぱり周囲にあつまってくる変なキャラクターたちが大好きだった。
最終作の『夜の魚』、今までの変なキャラクター総登場の巻である。
怪奇作家の段一知(まあ、このシャレがわからぬ人はこの日記を覗いておられる方の中にはいないであろう)一家、「テケリ・リ!」のクトルーちゃんもいいけれど、謎の大きな顔の奥さんが私のお気に入りだった。
なんと本作のラストで奥さん、「人間に近く」なってしまう。
どうなったかはまだ読んでない人のために、ヒ・ミ・ツ(* ̄∇ ̄*)。
「あたしどうして元に戻らないのかしら、これではあなたに嫌われてしまうわ」
「ばかなことを言うんじゃないよ、どんな姿をしていてもきみはきみじゃないか」
セリフだけを聞いているとありきたりだが、段先生は、「本当に奥さんがどんな姿をしていてもいい」のである(笑)。
たとえ奥さんがダゴンであろうが、ウィルバー・ウェイトリーであろうがナイアルラトテップであろうが栗本薫であろうが(笑)、愛に変わりはないのだ。
『美女と野獣』を越える究極の愛だな、こりゃ。
あともう1巻くらい、読みたかったなあ。
マンガ、原作GAINAX・漫画ウエダハジメ『フリクリ』2巻(講談社・550円)。
アニメシリーズ、全6巻が完結して、マンガ版もオワリ。
アニメのほうも相当キレてたが、マンガ版はよりキレていた。
筋に基づいて絵が描かれるのでなく、絵の流れが筋を紡ぎ出すような展開。故にアニメ版とは若干、内容が異なる。……けれど、その「差異」のおかげで、アニメ版を見たときには気がつかなかった『フリクリ』って作品の精神的構造が見えてきた。
これはもう、ネタバラシしないと説明ができないので書いちゃうけど、マンガ版で、ナオ太、本当に父親のカモン殺しちゃうのね。
「男の子はね、父親を殺していいんだよ」
“父親殺し”と言えば、その心理分析はもう、超有名なアレに決まってますわな(笑)。
父親を殺せない男の子は男の子ではない(おいおい)。
あ、物理的に本当にってことじゃなくて、心理的にって意味でね。でも実はその差はたいした違いじゃないのだ。
男の子が自立できるのは、父親を“本当に”殺せると確信できたときだから。 そして、その確信に向かって、男の子を心を誘ってくれるのが、ファム・ファタールとしての「母親」なのだ。
ハル子さんは、お母さんだったんだね……って、じゃあ、『エヴァンゲリオン』と全く同じじゃん。
だからまあ、『フリクリ』ってのは煎じ詰めれば『エヴァ』同様、エディプス・コンプレックスの具現化作品だったわけだけれども、お母さんと「大人のキス」をしたってさ、やっぱり「宇宙」に飛び立つことはできないんだってとこまでそっくりなんだよなあ。
ということは、原作の鶴巻さん、結局、庵野秀明の掌中の孫悟空だったのかな?
……いや、多分そうじゃないな。
『エヴァ』と『フリクリ』とじゃ、ある一点が決定的に違ってる。
“ナオ太は14歳じゃない。”
……10歳くらいかな。だから、精通はまだないはずだ。
「女の子」は知らない。
精通のない男の子が、どんなに辛いか。
でも、「母親」は知っている。というか、それを知らなければ母親にはなれない(現実にはそれを知らない母親、多過ぎるよな)。
N.O.は明らかに精通のシンボライズだ。ハル子さんは出そうで出ない、ナオ太くんの未発達の性を、優しくしたり、叩きのめしたり、手練手管で引き出してやってるのだ。
でも、男の子に本当に「性」が芽生えたら。
母親は退場します。しなければいけません。
だから、男の子は、性に目覚める直前の、自分の中にあるモノをどうしたらいいか分らずにもだえているときが、人生で一番辛い時なのだ。
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08月30日(木)
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