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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■クリエイターの条件/映画『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』ほか
途中まで見ているときにしげと鴉丸嬢が到着。
鴉丸嬢、遠山景織子のファンだとかで、喜んで見始める。
でも段々、設定やストーリーとかに茶々を入れ始める。「なんでこの時代に髪染めてるんだよっ」とか「死体愛好だぁ!」とか「必殺と同じぃ!」とか。
まあ、若い子だから即物的な反応をしてるだけで、批評にもなんにもなっちゃいないのだが、ああ、イマドキの若い子って、こんな感じ方してるんだなあ、と見ていて新鮮なオドロキがある。
まだ、対象となる映画や小説の文化的背景も知らず、自分の感覚だけでしかものを見ることが出来ない、というと悪口を言ってるみたいだが、誰だって中坊のころはそんなものだ。
どうもオタクな生活に慣れていると、こういうオタク度のあまり高くない子に向けてもモノを作っていかなきゃならないのだということを、つい、忘れてしまいがちになってしまうのでイカンのだよね。『怪』のメイクを見ながら、鴉丸嬢、「歌舞伎みたい」と言っていたが、歌舞伎のケレン味などと言ったものも若い子にとってはバカバカしい荒唐無稽としか見えないのかもしれない。
だとすれば、映画や小説の作り手たちは、大きなウソをつきながらも、それをウソと気付かせないくらいの大胆な演出というものを考えていかなければならないのである。中途半端なウソが一番始末に悪いよなあ。
二人がDVDを見ている間、私がずっとパソコンに向かって日記を書いているので、「ずっとウチにいて、書くことあるの?」と鴉丸嬢が聞いてくる。
京極夏彦風に言うなら「世の中にネタにならないことなどない」ということになろうか。日頃からこの日記にも書き、メンバーのみんなにも同じことをしょっちゅう言ってるのだが、全然理解してもらえてないんだなあ。うううo(ToT)o。
劇団ホームページの日記、パソコン持ってるのに書きこまないメンバーも多いが、「書くことないから」なんてこと言ってるようじゃ、クリエイターには永遠になれんのだ。
創作というのは題材ではない。題材は誰の眼の前にでもある。それをどう語るか演じるか。その視点こそが作家のオリジナリティにつながるのだ。
そして、その「クリエイターへの道」は、畢竟、自分を「オタク」として既定していくことに他ならない。
鴉丸嬢も、演劇やってる時点で、オタクの道に片足突っ込んじゃってるのである。更に同人マンガまで描いてりゃもうフツーの人に戻るのは不可能だ。なのに自分のことを「オタクじゃない」なんて思おう思おうとしている様子が見えるのだよなあ。
いや、しげも含めて、ウチのメンバー、まだまだ自分をオタクと自覚することを躊躇してるやつ、多いのだな。確かにイタいオタクも世間にゃ多いし、実際そう言うやつらに迷惑被ったこともあるんだろうけれど、だからって、「私はオタクじゃありません」って言うのは、自分自身のアイデンティティを否定することにしかならないのだ。
自己否定してる人間の言動なんて、だれもマトモに相手にしちゃくれんのだよ。
ビデオ録画しておいた舞台『シティボーイズミックス ラ・ハッスルきのこショー』を三人で見る。
日本のギャグの歴史に残るほどの傑作『ハッスル智恵子ショー』のスケッチがカットされている、というのは事前にしげから聞いて知っていた。やはりさすがに実在した既知外さんのパロディは放送に乗せるのには無理があるんだなあ。残念無念。全体としてそれなりに面白くはあるけれども、アレなくしては画竜点睛を欠く感は否めない。
それに、やはりナマの舞台を見ていると、実感できることなのだが、どんなに8台のカメラを駆使して映像演出を施そうと、そこに流れる空気まで再現することは不可能なのである。
鴉丸嬢、見ながら「大爆笑するような笑いじゃなくて、クスクスって笑えるようなところがいいよね」とか言ってたが、冗談じゃない、実際の舞台は大爆笑の渦だったのである。画面を通してだと、確実に笑い度数は1/3以下に減退しているのだ。
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08月28日(火)
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