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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■目標達成!……って何が/『腐っても「文学」!?』(大月隆寛編)ほか
別に趣味の世界でいいじゃん、文学なんて、と思っていた私は、そのブンガクブで、氷室冴子や谷山浩子や宮崎駿のグローバル性をアツク語っていたのだね。今思い返せば、それだって充分青い。「文学で世界が変えられるか」などという命題そのものが、ただの権威主義的言質にほかならない。
でも未だに「文学」やってるヤツってエラそうなんだよね。大月さんたちが、たからエラそうな「文学者」たちを引き摺り下ろし、扱き下ろしたくなる気持ちは分からないでもない。
でもだ。
小田嶋隆が、田中康夫について、「不品行も、性的放縦も、傲慢なもの言いも、すべては『作家さんだから』ということで許されてきた」とかいうヒガミ丸出しの貶し方はチトみっともないぞ。
あの人の場合、許されてたわけじゃなくて、コモノ過ぎて歯牙にもかけられなかっただけだと思うけどなあ。長野県知事戦で、田中氏に投票した連中で、『なんとなくクリスタル』を読んでたやつがどれだけいるってんだ。こういうコモノに対してまで僻まねばならないほど文学にコンプレックス抱かねばならんのかと思うと、おいちゃん、情けないよ。
小谷野敦が、柳美里の『命』『魂』や、飯島愛の『プラトニック・セックス』を取り上げて、「『布団』『新生』『黒髪』に感じるような魅力を感じない」というのもただのコンプレックスでないの。明治の文学者の教養ある文章に幻惑されてるけど、教養と文学的価値は別だって事実は、それこそ文学研究の基礎知識ではないのかな?
文章のうまさを除けば、田山花袋と飯島愛は同レベルと言っていい。いや、女々しい分だけ花袋のほうが低いかもしれない。
日本の場合、私小説は、社会に立ち向かう勇気のない作家の糊口をしのぐ逃げ道としてあったものだからね、結局、私小説は私小説ってだけの価値しかないのよ。
ほかにも、栗原裕一郎が『ブギーポップは笑わない』を取り上げてブンガク的に貶したりとか、何考えてんだ、この編集は、と言った感じの記事が多すぎる。
総じて言えることは、「だから誰も『文学』だなんて思っちゃいないものまで取り上げて、『これも文学だ!』と誉めるならまだしも、貶してどうすんのよ」ってことかな。
あの、どうせ権威に対抗したいような革命的な文学論やりたいんならさ、未だに教科書に載り続けてるような作品を取り上げてさ、「夏目漱石は『夢十夜』を除けば後はすべて駄作だ」とか、「島崎藤村と志賀直哉は一生読まなくていい」くらいのこと言いなさいよ(あ、私はそうは思ってませんからね。『暗夜行路』は楽しいですよ〜、夏場のガマン大会以上に汗流せまっせ)。
どうせ文壇から無視されてるヒョーロンカのみなさんばかりなんでしょ? 失うものは今更ないでないの。
あ、太宰と三島は貶しやすいからアウトね。
志が低い。
DVD『遊撃戦』2〜4話。
岡本喜八が脚本を担当したのは1話のみで、2話以降はオープニングに名前こそあるものの、プロットを提供しただけで、脚本は胡桃哲、中みね子(岡本みね子)、長野洋の諸氏が執筆したもののよう。
監督も岡本組の助監督、武林進と山本迪夫の二人が当たっており、にもかかわらず、まるで岡本監督自身が監督しているかのような面白さ。
第二話『砂の英雄』、後の『血を吸う』シリーズの山本監督、西村晃に藤原釜足という芸達者を迎えて、砂漠での頭脳戦をサスペンスフルに描く。砂漠をコマネズミのように走る西村晃が最高にカッコイイぞ!
だいたい、主人公の遊撃隊の面々自体が、軍隊からのハミダシ者、アウトローたちだから、これはアウトロー対アウトローの戦いであって、善対悪なんて単純なものではない。「国のため」などと言う美辞麗句に踊らされることを拒否しながら、それでも戦わねばならなかった者たちのペシミズムが日本側にも中国側にもあったことをしっかり描いているのだ。
それでいて、ちゃんとエンタテインメントになってるのだよなあ。第三話『日の丸婆さん』での意外な展開。まさにこれは岡本版『七人の侍』だ。しかも、この潔さは『七人』以上に岡本監督が「戦争」に対してシビアな視点を持っていることを示唆している。
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07月24日(火)
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