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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか
 決して楽な道ではない。人気キャラに寄っかかっていれば、とりあえずの人気は取れて、連載を続けることはできるからだ。しかし、どんなにファンがついていようと、『キン肉マン』や『聖闘士星矢』や『ドラゴンボール』を傑作と呼ぶことはできない。それは、マンガファンとしての良心の問題でもある。
 作者にその良心があるならば、更に『ヒカ碁』が長期連載を試みるのならば、これからのドラマこそが、本当の『ヒカルの碁』の始まりとなるだろう。それは、ヒカルにとっても、作者にとっても、茨の道であろうことは想像に難くない。アホな編集なら「佐為はいつ再登場するんですかあ? そろそろ出さないと人気落ちちゃいますよう」などと言い出しかねないからだ。
 でも、そんなアホな要求に屈する作者たちではあるまい。そう信じられるのは、今までの、ある意味ジャンプのセオリーを崩しつつ、ここまできたという実績ゆえだ。
 ……正直言って、原作のほったさんが、こんなところにまでドラマを追いこむとは思ってもいなかった。……まだまだ私の見方は甘かったのだなあ。
 世のマンガファンよ、端倪すべし。


 マンガ、南Q太『夢の温度[夏祭り]』。
 前々から読んでみようかどうしようかと気になってた南Q太。
 先日読んだ『20世紀少女マンガ天国』で、「かわいい女の子が激しくセックスするマンガ」とミもフタもないことを書かれていたので、かえって面白いんじゃないかとまとめて作品集を買い込んでみたのだ。
 こういう「賭け」に近い衝動買い、言ってみれば私の「カン」なのだが、結構このカン、外れない。
 うん、アタリでした。今まで読まずにすませていたのがもったいなかったなあ。これはイイよ、ほんとに。

 とりあえず、「かわいい絵でやりまくり」という印象は本作にはなかった(^.^; )。
 南Q太の絵は、明らかに江口寿史の流れの上にある。ヨシモトヨシトモやガロ系の漫画家もちょこちょこ入っているようだが、均質な線で描かれる人物、ハイライトの少ない目、引き結んだ口を表す下唇の線などは特徴的だし、主要キャラ以外の人間をこれでもかというほどにブサイクに描くあたりの差別性も江口風だ。おかげで、その絵だけで主人公たちのセックスが純愛に見えてしまう効果がある。実際、ドラマ的にもある意味純愛ではあるんだけど。

 28歳までずっと処女のままの教師、町子。周りの独身男はダサイというよりは汚らしく気持ちの悪いヤツばかり。少し頭がコワレかけている母親からまで結婚を迫られて、本当になにげなく、町子は教え子のアキと関係を持つ。
 「淋しくて誰でもよかったのかも」
 そう呟く町子だったが、ここまでは、従来のマンガにもよくあるように、「赤い糸」で結ばれた相手を求めるオトメの陥りやすい罪悪感。これからあと、それこそありきたりのマンガなら「本当の恋人はこの人だわ」と思いこもうとするか「私の運命の人は他にいるわ」と旅に出るかするものだが(笑)、本作は違った。
 ムズカシイことを考えることはやめて、ただヤルよーになるのだ。おいおい(=^_^=) 。

 でも、そんなもんでもいいよな。男と女の仲って。

 差別的かもしれないが、顔がよければ男と女の壁なんて結構、乗り越えられる、ということでもある。外見だけじゃ駄目、なんて言うから話がコムズカシクなるんであって、顔だけでいいじゃん、ということになれば拘りはグッと減ったりもするのだ。
 進歩的と呼ばれるような女性が、どんなに「誰でもよかった」に対して、拒否感、罪悪感を抱こうと、事実は男と女は「誰でもいいから」相手を選んでいるのである。
 逆に、相手を「誰でもよくない人」「唯一の人」なんて認識したりすると、男と女の不幸は始まってしまうのだ。
 モラルとか思いこみを捨てたところからしか恋愛は始まらない。大島渚の『愛のコリーダ』がただただセックス描写のみが続くにもかかわらず、世間の通念とは違って堂々たる純愛映画になっていたように、セックスはそれだけで愛となるのだ。

 それで今、ちょっと思いついたミニ小説。

 何となく振り向いたぼくと彼女の声がはもった。
 「ねえ、しよ」

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07月18日(水)
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