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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ1
 先般、博多・小倉ワークショッパーズ有志によって行われた「夜市」のDVD、草莽の志士さんのお話によれば、「森田先生は『面白くないだろうから見ない』と言ってるよ」ということだったが、しっかりご覧になったそうである。
「打ち上げをやるところは多いんだけど、芝居をやったってのは初めてだね」とにこやかに仰るのだが、決して出来のいいものではないので、恐縮するしかない。
「照明を落とす演出がいませんので、途方に暮れました」としどろもどろの弁明をする。余談だが、「夜市」の発音、森田先生は「やいち」と言われていたが、実は正確な読み方は決まっていない。まあ、「よいち」でも「よるいち」でも構わないのだろうが、発案者の志士さんは「よいち」に拘っておられたようだ。熱い魂の男は細かい点も揺るがせにはできないのである(笑)。


 昼の部。
 お馴染みの「円陣」が組まれる。30基ほど椅子が丸く並べられて、中央にはもちろん森田先生。去年からの継続参加者はぱっと見で十数人。半分ほどは新しい人たちである。懐かしい顔に出会えるのも嬉しいが、新人さんが増えていくのも楽しい。人は本当に一人一人が違う。新しい人の演技にはやはり新しい発見があるのだ。
 「『古手』が新しい人にどんなことやってたか、教えてあげてよ」
何人かが指名され、私も「日常を舞台の上に乗せるのが目的で……」とか何とか喋るが、「つまんない喋り方でしょ? ここで聞く人と聞かない人に分かれるのね」とダメ出しを食らう。てか、演技を始める前からダメを出されちゃう私って、何なんでしょ(涙)。

 最初の指示は、「『何でも人のせいにする人』をやってみて」。
とまどいが円陣のみんなに流れる。「同じことばかりはやらないからね」と笑う森田先生。
 どんな人が「責任転嫁」しているか? ある人にとっては会社の上司。あるいは同僚。親兄弟を挙げる人も。早速、その人物を真似させられる。最初なので、なかなかうまく流れない。みんな、「演技の準備」をしてしまう。
「考えちゃダメね。考えるとどうしても『内容』を語ろうとしちゃうから。そうすると必ず詰まるのね」
 何人か、親兄弟を演じた人がうまく行った。母親を演じた人が、愚痴を言いながら、涙ぐんでしまった。つい最近、母親を亡くされていたのである。
「面白いね。こないだも泣いた人がいたけれども、これが博多独特なのね。家族の絆が強いのね。ほかの地方じゃね、親を演じても泣かないのよ。俺なんか冷酷だから親が死んだらせいせいしたけどね。やっぱり博多は南国だね」
そこからまた、「他人のせいにする人のまま、それを家族の誰かにして演じてみて」と指示が変わる。初めて来た人の何人かが、びっくりするほど特徴ある人を演じたりする。けれどもやはりまだ語る「内容」に拘って、突っかかってしまう人が大半である。
「……今はいいけどね、本番が近くなると、俺、怒るからね」
 それって、既に怒ってませんか。顔はにこやかですが。
 「声を変えてみようか。鼻声を出してみて」
途端に、それまで今ひとつの印象だった人が生き生きとし始める。
女の人が鼻声で、訥々と「どうして八時の約束なのに十時に来るの」などと怒ってるんだか怒ってないんだかよく分からないことを喋る。森田先生が指差して、「こういう人には怒れないでしょ? ケンカができないでしょ? これが大事なのね」
何が大事なのか分からずに、一同がきょとんとする。
 「大事なのはお客さんにイメージしてもらうことだから。この声の人はね、変な声だけれども、本人にとってはこれが自然なの。ああ、そういう人だなって思うと、この人のことが許せちゃうのね。ただ聞いてるだけだとイヤな声だけれども、脳の中で修正して、いい声にしちゃうの」
 それを聞いて、去年まではなかなか役を作れなかった人も、うまく声を作れるようになって行く。私も何となくコツがつかめたような気がして、声を出してみたが、「はい、そこで誰かが入ってきた」と別の指示が出た途端に対応できずにボロを出した。まだまだアタマで「考えて」いるのだろう。


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04月14日(土)
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