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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『のだめ』エランドール賞/『裁判狂時代』(阿曽山大噴火)/『シャアへの鎮魂歌』(池田秀一)
そもそもがこのエランドール賞、記事にもある通り、「日本映画テレビプロデューサー協会」の会員による選出である。プロデューサーと一般の観客と、映画やドラマに対する視点が違うのは自明の通り。要するにドラマとしての完成度やオリジナリティーよりも、「流行にうまくハマッてヒットした」という事実の方が受賞理由としてより考慮されることになるのだろう。
下世話な表現になるが、「売れてナンボ」の感覚の方々が選出している賞なのである。それがいけないということではなくて、我々は「ナントカ賞」と聞くと、ついその「内容」が評価されたと思いがちなのだが、これはそういう賞とはたいして関係のない賞なのだと理解する必要があるだろう、ということである。
「クラシック音楽界を舞台にドラマを成功させ、世にクラシックブームを巻き起こした」っていうのは、つまりは「現象」を評価しているだけのことで、ドラマの中身については触れていないのだから。
『裁判狂時代 喜劇の法廷★傍聴記』(阿曽山大噴火/河出文庫)
> 世にもおかしな仰天法廷劇の数々! 大川興業所属「日本一の裁判傍聴マニア」が信じられない珍妙奇天烈な爆笑法廷を大公開! 石原裕次郎の弟を自称する窃盗犯や極刑を望む痴漢など、報道のリアルな裏側。
『キネマ旬報』の映画『それでもボクはやってない』特集号に、「この映画の描写はホンモノ」と太鼓判を押していたのが、著者の阿曽山大噴火氏である(「あそざん」の「そ」の字が「蘇」じゃないのね)。
寡聞にして昨今の「傍聴ブーム」(そんなのがあったのかい)の火付け役であることも、大川興業の人であることも知らなかったのだが、やや「斜め読み」な視点に違和感は感じるものの、日本の裁判の珍妙さを知るには格好のテキストであるように思う。
かつて私自身も知人が起こした事件に関連して、裁判の証人に立ったことがある。
そのとき実感したことは、あそこは真実を解き明かす場でも何でもなく、有罪か無罪か、そのどちらかを「勝ち取る」場なのだということだ。
ちょいとアナタ、証人席に立って、被告人の弁護を行っていたら、裁判官から(検察官からではないよ)「どうしてこんな被告人を弁護できるのか」みたいに突っ込まれてごらんなさいな。「わしゃ、そのためにここに来とるんじゃい!」と怒鳴りたくもなりますよ。いえ、本当に怒鳴ったりはしてませんけどね。
別に理想主義者ぶるつもりはないが、裁判というものにどこか白々しいものを覚えてしまって以来、その手の話題には触れたくないというのが正直な気持ちであったのだ。
それがどうして本書を手にする気になったかと言うと、最近、偶然その裁判の時の関係者に道端で逢うことがあって、あの裁判が決してムダではなかったのだということが確認でき、少し気が安らいできたという事情が作用している。『それでもボクはやってない』を冷静に見られたのもそのおかげだろう。
宣伝の惹句にもある通り、これは著者がこの七、八年の間に傍聴してきた裁判のおもしろレポートである。「裁判という神聖なものを茶化すとは何事か」というマジメな方の謗りがあるかもしれないが、実際に傍聴経験を一度でもして見れば分かることだ。裁判は神聖なものでも真面目なものでも何でもない。
いや、当事者たちはいたって真剣なのだろう。しかし事件というものはいずれも日常の掛け金をどこかで掛け違えてしまったために起きてしまう「非日常の世界」である。フツーの感覚がどこかで捻じ曲がり歪んでズレてしまっていることは否めない。そこに関わってしまえば、たとえ常識をもって対処しようとしても、弁護士も検察官も裁判官も、みなどこかでズレちゃってしまうのは仕方のないことなのだ。
エンコーの相手に暴力を振るっていったん払ったお金を奪い返した「強盗致傷」の事件。検察官が事件の認定よりも、「常習犯」である被告人に、「何人と会ったことあるの?」「具体的にはどうやるの?」「射精はしたの?」とか、興味本位の質問に偏っちゃってしまって話にならない。検察官もオトコなんだねえ、というよりは、これじゃ屋台の酔客である。
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02月10日(土)
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