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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■インモラルの剥奪/映画『劇場版 BLEACH MEMORIES OF NOBODY』/ドラマ『佐賀のがばいばあちゃん』
もちろん、実際に殺害という行為に走れば、この愛は結末を迎えてしまう。殺したくとも殺せない、このアンビバレンツの中で、男女は自らの性愛を育てていくしかないのである。
殺害された妹は果たして処女であったか否か、そのことを兄は知っていたか否か、いや、先ほどはつい書くことを控えてしまったが、この二人の間に既に近親相姦が成立していたか否か、そこがこの事件を読み解く重大な鍵となろう。
しかし、兄がそれを告白するかどうかは分からないし、告白したとしてもそれが報道されるかどうかは分からない。
いや、既に兄は何かの告白をしていて、全てを報道できないがために、あの「なじられた云々」という何とも腑に落ちない動機だけが強調されているのかもしれない。
確実に言えることは、兄は妹を切断している間中ずっと、快感に打ち震えていただろうということである。
「死体をバラバラにする」とは、どういう行為なのか。それは人体の人形化である。パーツ化である。人形とは即ち愛玩物である。そして人形に魂を吹き込むことができるのは、その人形の「主人」だけである。
兄は妹の主人になりたかった。妹を自分の自由にしたかった。だから妹はバラバラにされなければならなかった。バラバラ殺人という行為が、兄のそういった意志を象徴しているのだ。
“そんな行為を妹に対して行えた者は自分以外にいない”。
この認識は処女を犯した男に共通する快感と同種のものである。即ち、このバラバラ殺人は、妹に対する兄の独占欲を満たすことになったに違いないのである。
誤解を招くかもしれないことを承知であえて書くが、この事件は、兄にとって、「ハッピーエンド」であった可能性すらある。
妹は果たして兄の自分に対する欲情に気付いていたかどうか。
いや、もしも二人の間に交情があったと仮定すれば、妹の「自分には夢があるが、兄には夢がない」という問い掛けは、全く別の意味すら持ってくる。これはもしや、妹の、兄からの決別宣言ではなかったか。
兄は、妹の別離を、まさに命を懸けて阻止したのである。
これは私の個人的な妄想とは言えない。「死体を切断する」という行為に性的意味があることはこれまでのバラバラ殺人事件で常に分析されてきたことである。今回だけが例外であるとどうして言えるだろうか。
人間を理解しようとする者なら、その行為の異常性がどう分析できるかは、常に意識しておかなければならないことだろう。
あなたが真に恋人から愛されているという自覚があるなら、やはりいつかは殺されるかもしれない可能性があるのだと覚悟する必要があるだろう。
愛とはそれくらい激烈なものなのである。
ひと昔前なら、居酒屋などでテレビを見ながら、客同士でこの事件を話題にするとしたら、開口一番、誰かが「この兄ちゃん、妹とヤッてたんかな?」と口にしていたことであろう。
しかし果たして現代はどうだろう。「ひどい犯罪もあったもんだねえ」で終わるか、下手をすれば「兄が妹を殺すなんて世も末だねえ、信じられない」などという「常軌を逸した」発言すら出てくるかもしれない。
たとえそれが犯罪であったとしても、人間の性愛の可能性を簡単に否定するような社会は、決して健全には機能しない。去勢された社会だと言ってもいい。しかし、全ての性愛は基本的にインモラルなものなのである。
即ち、インモラルな話題を口にできるということは、それだけモラルが形骸化しておらず、ちゃんと機能していることの逆証明になるのだ。表面的なモラルにすがりたい人々が多いということは、実質的にはインモラルを助長することにしかならない。
「差別をなくそう」というスローガンが差別を増大化させるのと同じ現象が、性愛に関しても起きているのである。
某SNSで、この事件が話題になっていたが(そこにいる人がここも読んでいることを承知の上で書くが)、やはりというか、誰も兄妹の心理までは踏み込めず、新聞報道の誘導に引っかかって「夢がないのがいけないのかどうか」みたいな暢気な話題に終始していた。
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01月04日(木)
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