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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」三日目/懐かしい人々
この一年で見違えるほどに美しくなられている。森田さんにもちゃんと記憶して貰えて、声をかけられている。幸せそうな笑顔が一層美しく、これがワークショップ効果というものかと驚く。
もちろんそれが、なつさんの中にもともと眠っていた何かが、呼び覚まされた結果であることは言うまでもない。
毎日、新しい参加者があるが、どうやら公演当日、出演できる人員は20名ほどらしい。
「期間も長いから、きっちりしたものを作っていきましょう」と森田さんが仰る。プレッシャーを感じていると、森田さんからいきなり「新しい人にどんなことをやるか説明してあげて」と聞かれる。しどろもどろになって、うまく答えられない。
私が弁が立つとか、困った経験がないと勘違いしている人がよくいるが、私はおそらくはしげ。以上に対人恐怖症であるし、生活無能力者であると思う。
もっとも、そんなことを言えば森田さんには「抜け抜けと」と一笑に付されてしまうことが目に見えているが。
今回のキーワードはどうやら「夫婦喧嘩」ということになりそうで、新しく来られた人にも森田さんは、昨日まで聞いていたように「両親はどんな喧嘩をしてた?」と聞かれる。
言葉の応酬が激しい家庭、皮肉や愚痴に近い家庭、すぐに手が出る(夫からだったり妻だったり)家庭など、家庭ごとにケンカの仕方は当然違うが、みんなが喋っているうちに、何となくな「博多の共通点」みたいなものが見えてくる。
「博多の人の特徴はね、大げんかした後で男が外に逃げ出しちゃうことね。田舎じゃね、逃げ出しても外に何にもないから、行くとこないのよ。俺、金沢だからさ、出て行きたくても外は寒くて、部屋の中にいるしかないのよ。で、結局、お互いだんまりになっちゃう
このだんまりがよくないのね。昔は大げんかしてたら、近所の人がやってきて仲裁とかしてたけど、今はほったらかしでしょ? 黙ってたら別れるしかないもの。だから、このだんまりの先にあるものを見つけようよって、そういうことを目指したいの。それが『演劇』の目的なのね」
「演劇」は「人生」に重なっているのである。
私もそうだが、「映画」や「演劇」に興味を持てない人を人として見られないのは、本当に「人」を感じないからなのだ。
森田さんの「演説」がひとしきりすんだので、再びスタジオに移動。
「何でもいいからデタラメを言ってみよう。デタラメを言うにはどうしたらいい?」と森田さんが問いかけると、なつさんが「ともかく『ハッタリをかます』というのはどうでしょう」と即座に答える。
本当に頭が切れる方だ、と感心する(惚れてるわけではないので、勝手に憶測をたくましくしないように)。
円陣を組んだ一同が、次々に適当なハッタリをカマしていくが、いかにも本当らしく聞こえる人、ウソっぽい人、個人差が激しい。
じり子さんの「2ちゃんねるで本名バラされちゃってえ、それはいいんだけどぉ、『じり子さんですね?』って声かけられるようになったのがウザくてぇ」などは、本当にそういう経験があるようにしか聞こえなかった。
これが別に演劇経験があるわけでも何でもないシロウトさんがされているのである。うまい、へたではなく、他人のイメージを借りると、これくらいのことは簡単にできるようになるということなのだ。
「じゃあ、そろそろ舞台の練習をしてみようか」の森田さんの掛け声で、椅子が四つ、いつもの舞台同様に並べられる。
昼の部は女性の方の参加者が多いので、「夫婦」を演じるとなると、どうしても同じ男性が何度も引っ張り出されることになる。
何人かの女性が、「草莽の志士さん」を相手に愚痴を言ったりするが、「喧嘩」にまでは昇華しない。
「ほら、それじゃ、もう男を許しちゃってるでしょ? それじゃ続かないのよ」
「そこは『ゴメン』じゃないなあ」
回りに鼻歌を歌わせたりして雰囲気を作ろうとするが、なかなか乗ってこない。去年に比べれば森田さんのダメ出しの口調は優しいが、「よくない」という意志は明確で、妥協はない。
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11月11日(土)
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