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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■愛想尽かしの言葉がダメなお前に似合いさ/『仮面ライダー響鬼』最終之巻/『ウミショー』1巻(はっとりみつる)
終わりよければではないが、「残されたスタッフの努力によって、危機を乗り越えていった」という点では、初代ライダーと今回の件とは、事情がよく似ている。私は今でも、わずか13話の初期ライダーのみが面白いと思ってはいるが、だからと言って、それ以降のライダーを全否定するような偏狭さを持ち合わせてはいない。けれども、今の特撮オタク連中は、あまりにも自説に拘り、自ら視野を狭くしている嫌いがあるのではないか。昔だったらそんな我田引水なやつはクラスに一人いるかいないかだから、結局は沈黙するしかなかったのだが、今はそんな「少数派」でもネットで繋がってしまえるから、「自分は正しい!」と思い込んで「付け上がる」傾向が強い。マイノリティーだって自分の意見を言っていけないわけはないのだが、状況判断の冷静にできない連中がつるむと、「パニック」を引き起こすことすらあるから、それが怖いのである。
それとも今回は、東映に殴りこみに行くやつがいなかっただけ、よかったと考えた方がいいのかね(笑)。
『響鬼』最終回は、高寺プロデューサー、大石真司脚本に対する現場のスタッフ・キャストからのオマージュであった。私はもうそれでよしと考えるものであるが、それでもダメと仰る方々を納得ないし満足させるには、もう一度お二人に戻ってきていただいて、スペシャル版を一本か二本、作ってもらわなければいけないかもしれないが、ヒートアップした連中が「それでも満足できなかったら」今度は何をやらかすのだろうか。オタクや腐女子の言動に苦言を呈する向きが世間に多いのも、彼ら彼女らが実際に「危険」だからである。オタクはエリートでもなければファンでもない。自分たちは決して一般のファンから愛される存在などではないという自覚を持てよな。
次回作『仮面ライダーカブト』は、予告編を見る限り、劇場版を除けば久方ぶりに「フィルム撮り」に戻るライダーになりそうである。以前、平成ライダーシリーズの開幕時に、「ビデオ撮りでないと今の子供たちは見てくれない」とプロデューサーが発言していたが、やはり特撮ドラマの画面の質感と華やかさは、リアルからファンタジーまで、光と影の濃淡を使った様々な表現を駆使し得るフィルム撮りでこそ出せるものだ。マジメな話、ビデオ画像に反発して平成シリーズはあまり熱心に見る気が起こらなかったって思っていた「映像派」は多いと思う。
これが、「少し予算が使えるようになったから、フィルムにしてみようか」という軽い発想なのか、映画並のスケールを画面に持たせたいという発想なのかは分からないが、脚本が『響鬼』の後半、三十八之巻『破れる音撃』、三十九之巻『始まる君』の名エピソードを産んだ米村正二さんだから、期待はしたいと思う。
しげは今日も朝寝して、家事もしなければ買い物にも出かけない。昨日、散々叱られて、「明日はちゃんとするから」と言ったのもやっぱり嘘だった。
昼時になってようやく起き出して、「ご飯作ろうか?」と言ってきたので、料理本は読んだのか、また昨日と同じことを聞いたら、やっぱり読んでいなかった。夕べ、私に叱られたあと、台所に引っ込んでいたようだったので、少しは反省していたのかと思っていたら、それもやっぱりただのポーズだったのである。ポーズだけで人を騙せると思っているあたり、人を馬鹿にするにもほどがあるというものだ。どうにも業腹だったので、さすがに癇癪を起こしてまたしげを追い出した。
「自分の住む家は自分で捜せ! 働き口も見つけてこい! 見つけるまで帰ってくるな!」
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01月22日(日)
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