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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■2005年度キネマ旬報ベストテン/ドラマ『Ns’あおい』第一回/『アンフェア』第一回
話は横に逸れたが、邦画の1位が『パッチギ!』というのは、いささか「保守的」だなあ、というのが私の印象である。嫌韓意識で目が曇った(念のために言っとくがだからと言って私は韓国の主張に賛同しているわけではない)連中には、これが在日朝鮮人に阿った内容に捉えられたようだが、これは確かに日韓の認識の齟齬を前提としてはいるが、政治的な観点とはおよそ無縁な庶民感覚に基づいて作られた映画であって、物語としては非常に単純な、『ロミオとジュリエット』の再生版でしかない。だからこそストーリー上の破綻もないし、「どちらが悪いということではなく、双方がそれぞれに『引いて』、物語は終わる」のである。結局は甘ったるく情緒的な話だと批判することも可能で、だから『ロミオとジュリエット』のように悲劇的な結末に陥っていない分、後味が「良過ぎる」という、美点だか欠点だか評価に困る面を持っているのである。
同様に、2位の『ALWAYS 三丁目の夕日』もねえ、「昭和30年代」という衣装を取り除いちゃうと、ベッタベタなメロドラマが残るだけなのである。それが悪いとは言わないが、「保守的」と言ったのは、キネ旬の選考者、必ずしもトシヨリばかりではなかろうに、何でこうもノスタルジックなものばかりに引っかかっているのか、と、そこがどうも合点がいかないからである。映画を評価する際に、何かの「流れ」に捉えられてしまっているような印象がする……というか、やっぱり『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』がその「流れ」の一端を作っちゃったのかもなあ。「そういう方向」にばかり進んじゃうのって、結果的に「現代」を見失うことになりかねないんで、あまりいい傾向とは言えないんだけど。
博多では「十日恵比寿神社」の正月大祭の真っ最中なのだが、実は私はもう二十年以上、いや、下手をしたら三十年以上、参ったことがない。商売繁盛の神様だから、博多の商売人ならたとえどんな人ゴミであろうと、万難を排してお参りするのが当然の義務のようなものなのだが、私はいっこうに無頓着である。まあ、私の仕事を知ってる人なら、それでも別にヘンじゃないとご理解いただけるであろうが(笑)。
夕食の後、散歩をして帰宅してみると、父から着信が入っていた。かかってきた時間は七時ごろである。
もう八時に近くなってはいたが、折り返し、連絡を入れてみると、父は「どこへ行っとったとや!」とえらい剣幕である。
「どこもなにも、食後の運動しよったとよ」と答えて、用事が何か聞き返してみると、父は少し落ち着いたようで、「今日は十日恵比寿やろうが。車で送ってもらえんかいなと思って電話ば入れたったい」と言った。
「なん、そうね。それなら今からそっちに行こうか?」
「もうよか。今、博多駅まで来とうもん。これから地下鉄に乗るけん、帰りに迎えに来てくれんや」
「帰りって……いつごろね」
「それが分からんったい。テレビで見たとばってん、お参りに150メートルも並んどうらしいけんな」
「じゃあ、九時ぐらいになるかいな?」
「かもしれん」
「じゃあ、そのくらいに見当付けて行くよ」
電話を切って、しげに事情を話すと、しげは「十日恵比寿神社ってどこ?」と聞く。
「千代町のあたり」
「車はどこに停めるん?」
「さあ。多分、大混雑しとるけん、駐車場は殆ど空いとらんめえね」
「どうやって父ちゃん拾うん!」
「何とかして」
「無茶やん! 行ったとこもないとこで、車も停められんて……」
「じゃあお前、親父に『行けませんから、自力で帰って下さい』って連絡入れられるか?」
「それはしきらんけど……」
「なら、文句言ってどうする?」
と言うわけで、九時を待って、私としげは父を拾えるかどうかも分からない夜の闇の中へ旅立って行ったのであった。……大げさな表現であるが、それくらい激しく、しげの顔は緊迫感で蒼白になってたもので。
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01月10日(火)
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