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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「懐かしい」だけでも泣けるけど/映画『銀色の髪のアギト』&『ALWAYS 三丁目の夕日』
 『キング・コング』の場合、たとえば、根本的な問題として、アメリカ人のように「密林の中の巨猿」を「モンスター」ないしは「ビースト」と認識するような感性が、本当に日本人にあるだろうか? 「猿は猿」でしかないと感じるのが日本人の「猿」感だと思うのだがどうだろう(ついでだが、日本の「モスラ」は海外ではかなり笑われたそうだ。あちらの人には「蛾」を「モンスター」と認識する感覚がないのである)。
 「勘違いしにくい」映画が、それでもそこそこの客が入ってるんだから、それで一応よしとするんでいいんじゃないかねえ。


 シネリーブル博多駅で、アニメーション映画『銀色の髪のアギト』を見る。
 『青の6号』以来、GONZOの「作画レベルの高さ」に惹かれて、新作ができるたびに追いかけてはいるのだが、いつまで経っても「作画だけはいい」状態は何とかならないものか。ともかく『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』なんかをこき混ぜたような「どこかで見たような」新味のないストーリーを今更作ってくれるなよ、というのが正直な気持ちである。

 300年後の地球。
 遺伝子操作の失敗によって月面から巨大な樹木が龍のような姿となって、地球を襲った。以来、「森」は意思をもち、人を襲うようになる。果たして人類は、森との共生を図るべきか、敵対すべきか?
 そんな環境の中、たくましくも愉快に暮らす少年アギト(勝地涼)。ある日、親友のカイン(濱口優)と「禁断の泉」に水を汲みに出かけた彼は、300年の眠りから覚め、文明社会を復活させる鍵を握る少女・トゥーラ(宮崎あおい)と出会う。荒れ果てた地球で運命的に出逢ったふたりは、互いに惹かれあいながらも、育った環境の違いにとまどい、葛藤しながら成長していく。
 そんな時、「森」と敵対する都市「ラグナ」からやってきたシュナック(遠藤憲一)と名乗る男が、トゥーラを連れ去ってしまう。彼もまた、300年過去の世界からやってきた男だった……。

 「囚われの少女を奪還する少年」という旧態依然とした設定も、冒険物語の王道ということで目くじらは立てまい。けれども、地球緑化計画にしろイストークにしろ、「人間の賢しらだった知恵がかえって地球環境を破壊し、人類を危機に陥れる」というメッセージは、今時いくらなんでもストレートすぎやしないか、現代の環境破壊問題は、もっと複雑で、単純に緑を増やせば何とかなるというものではないよなあと、設定の「大雑把さ」に首を捻ってしまうのである。
 作画は精緻を極めている。緒方剛志のキャラクターデザインはいかにもなアニメ絵に見えて、実際にはなかなか動かしにくいと思われるのに、作画監督の山形厚史、恩田尚之は、これを自家薬籠中のものとして、アギトを実によく走らせ、飛ばせ、動かしてくれている。アニメーションが「動くこと」そのものの感動を味わわせてくれるものならば、確実に本作は第一級の完成度を誇っていると言えるはずなのだ。
 それなのになぜだろう、高揚感が少しも伝わってこない。トゥーラを背負って、押し寄せる溶岩を避け、「飛ぶよ!」と叫んで――次の絵は、当然、空を背景に「飛ぶ」二人の姿でなければならないはずだ。ところが二人はそのまま大地に落ちていくだけなのである。要するに、絵コンテがドラマを築き上げるだけの力を有していないのである。何かね、全体的にテレビサイズでね、安っぽいの。これはって痺れるような構図の絵が何枚かでもあれば印象は違ったんだろうけれど、なんか本当に「これまでに何度も見た」感じの絵ばかりなのである。GONZOが絵でアピールできなきゃ、しまいだがね。ベールイとゼールイのシーンだけは面白かったけど。
 まあ、いとおしい部分が全くないわけではなく、プロの声優をメインキャストに殆ど使わないのはとかくオタクから批判の対象になりやすいが、今回はそれがかなり成功している。勝地涼、宮崎あおいの主役二人もあの『平成狸合戦ぽんぽこ』のアレみたいなシロウトもどきではなく、ちゃんとキャラクターになりきっていた。遠藤憲一や大杉漣はもう、「いぶし銀」の魅力である。全体としてお勧めできるほどではないが、ディテールを楽しむなら損した気にはならずにすむ、というところだろうか。



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01月08日(日)
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