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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■17万ヒット!/映画『キング・コング』&『乱歩地獄』
 今年は櫛田神社の千二百五十年祭ということで、大きな看板が立てられていたが、特に何かイベントを行うというのではないようだ。福御籤を引くと、すきやきのタレが当たる。接触している身には余計なシロモノだが、神様も「肉食っていいよ」とご託宣を下さったのであろうか。御籤自体は末吉。なんだかここ数年、末吉しか引いていない気がする。妻は以前は御神籤を引くのが趣味みたいなところがあったのだが、すっかり飽きたのか、三十円くらい出してやるよと言っても首を横に振る。
 今年の暦と札を買って、キャナルシティに向かう。

 病人であることを忘れて、ユナイテッドシネマで映画『キング・コング』。せっかくの映画の日に映画を見ないのは損である。もう少しからだを大事にしたらと仰る向きもあろうが、私の目もそう長くは持ちそうにないので、こればかりは忠告を聞くわけにはいかない。
 もはや映画史上の古典であるオリジナル版『キング・コング』であるから(だからこれから書くことはかなりネタバレを含んでいるのだが、このお話を知らないことは既に恥でしかないので、そんなバカのことは想定しない)、たとえCGが発達した21世紀であろうと、生半可な映像化ではそんじょそこらの映画ファン、特撮ファンを唸らせることは不可能である。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソン監督は積年の夢を叶えるためとは言え、ある意味「無謀」に挑戦したわけであるが、これが実に小気味よい快作に仕上がっていて、三時間の長尺が殆ど気にならない。
 冒頭に流れるアル・ジョルスンの歌声と、1930年代のニューヨークの風俗、これだけでも心が躍りだすのだが、思わず画面を食い入るように見てしまったのは、当時のスタンダップ・コメディの芸の数々が「再現」されたからだ。チャップリン風の芸人が「何人も」登場してくるのを見て、ジャクソン監督、よく分かってらっしゃると、ついほくそ笑んでしまうのである。あの浮浪者スタイル、チャップリンのオリジナルじゃなくて、当時の「道化」のスタンダード・スタイルだということは知ってる人は知っている。
 このあたりはオリジナル版にはない「時代背景」の説明描写だが、これが全く説明的になってはいないのが見事である。ヒロインであるアン・ダロウ(ナオミ・ワッツ)が、ただのダンサーではなく、コメディ・ダンサーだという設定が、あとで彼女がコングを「和ませる」伏線として効いてくるのだ。芸は身を助く、と言うか、巨猿と美女との心の交情をスムーズに見せるために、タップダンスや側転、お手玉が役に立とうとは!
 もちろんこれは監督のブロードウェイや映画の歴史に対するオマージュであるのだが、正直、「やり過ぎ」の感がないわけではない。カール・デナム(ジャック・ブラック)が初め映画の主役にフェイ・レイを使おうと考えていたのに、メリアン・C・クーパーに取られてしまったとか(もちろん、この二人は、オリジナル版『キング・コング』のヒロインと監督である)、映画会社の首脳たちが、お蔵入りしかけた映画でもユニバーサルなら買うから売っちまえと発言したりとか、主演男優ブルース(カイル・チャンドラー)がクラーク・ゲイブルの顔マネをしたりとか、多分、特に映画ファンでもない人たちには気にもならないだろう小ネタが、これでもかこれでもかと繰り出されて行くのである。それは舞台がスカル・アイランドに移ってからも同様で、オリジナルはあくまで『キング・コング』のはずなのに、どこかで見たようなシチュエーション、構図、展開、これは『駅馬車』か『ガンガ・ディン』か、といったシーンが続出するのだ。映画の中で、主人公たちが危難に陥るたびにイングルホーン船長(トーマス・クレッチマン)が助けに来るのがご都合主義かつ頻繁でウンザリすると思われる方もあろうが、あれは「騎兵隊」なんであるから、「危険が迫った時に限ってしょっちゅう来るのが可笑しくて面白い」のである。水戸黄門だって最後にしか印籠を出さないし、ウルトラマンだって三分経たなきゃスペシウム光線を出さないんだから、文句を付ける方が「分かってない」のである。ターザンよろしくツタにぶら下がって文字通り「飛んで」来るんだから、あれがルーティーン・ギャグだってことに気付かないといけないのだ。

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01月01日(日)
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