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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■さよならカトウ君/NHKドラマ『慶次郎縁側日記2』第2回「正直者」
 今回も前回に引き続き、「仏の慶次郎」の「仏心」がかえって仇なす物語。と言っても、そもそも「馬鹿正直」な直太が、勝手に慶次郎のことを頼みに思って裏切られたと思い込んだだけの話だから、慶次郎に責任なんてありゃしないのだが、慶次郎だって「正直者」だからそこで悩んでしまう。全く、正直者だらけの世の中というものは始末に悪い。実際、だいたいにおいて「誰かのため」に何かをすることは殆ど裏目に出るものだ。それが分かっているのにあえて「正直者」であろうとするのは、失敗しても「正直だったんだからいいじゃない」って言い訳ができるから、その中に逃げ込んでいるだけではなかろうか。
 慶次郎は自分もまた「正直者」であることで悦に入っている。だからいつでも「偉そう」である。けれどもそんなものが「仮面」に過ぎないことは簡単に暴かれる。人を傷つけておいて、そのことに鈍感なのが正直者の正体なのだ。慶次郎は自分自身の「偽善」に悩むのだが、こういうときに「救いの手」が差し伸べられるのもまた「現実」というヤツで、全く、世の中は一筋縄ではいかない。
飯炊きの佐七(石橋蓮司)が「正直でいいじゃないですか。言葉にしたってことは、その時はそんな気持ちがあったってことなんだから」みたいなことを言うのがまさにその「救いの手」で、これでまた慶次郎は心が癒されて、またまた元の「正直者」に逆戻り、「正直の頭に神宿る」なんて言い出してしまう。もちろん、佐七は正直者でもなんでもなくて、本人の言どおり、「その時にはそんな気持ちで言った」に過ぎないので、そのあと、正直者の魚屋に駄賃をやった慶次郎に向かっては「賄いも苦しいのに」とたしなめることになるのである(笑)。
 正直者も悪党も、人間である限りはやはりどっちも厄介な存在でしかない。どちらが信用できるかとか言い出せばどっちも信用できないとしか言いようがない。いい加減で無責任かもしれないが、結果がどう転ぶかは誰にも分からないものだ。正直に行動するかあえて悪党になるか、その場限りの勘で動くしかないのだから、どっちが正しいのかなんて問われても答えようがない。
 このドラマの気持ち良さは、そんな善人・悪人も等価で「人間」として扱っている点だ。「深刻」という評判もあるようだが、深刻なのが現実ならばそれが「普通」ということである。それでもまあ人は生きていくのだ。前回、慶次郎に迫られグダグダになってしまった常蔵(若松武史)は、巡礼のたびに出た後もグダグダであった。何だかまた中島らもの歌を思い出してしまったが、どんなやつだって人間なんだから「いいんだぜ」なのである。

10月14日(金)
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