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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■確執なのかなんなのか/ドラマ『熟年離婚』第一話
 『エヴァ』騒動の時には私もさんざんホモオタさんから「解釈」を執拗に語られたものだったが、最近のグータロウ君はそのイメージに重なってしまうのである。「語られていないもの」については「真実は読者の数」だけあるということなのだから、「解釈」に「遊ぶ」ならばともかくも、「それはおかしい」とか言い出して自説に固執するのは困った「信者」でしかない。私は、どうせならグータロウ君には「いや、鈴木君は実はハウルで(性格悪いしいろんな姿を取れるそうだし)、ラストのアレはカルシファーの仕業なんだよ」くらいのことを言ってくれることを期待していたのだが(これでも辻褄は合うぞ)、そんな心の余裕も彼はなくしてしまっている。本当にいったいどうしちゃったのだろうか。未だに『響鬼』30話ショックが尾を引いているのだろうか。
 再度、繰り返すが、「鈴木君が神様だったのかどうか」という点に固執していては、あの小説の本質を見失う。芳雄君は過去の私たちである。私たちが大人の現実を垣間見、ある時はそこで反抗し、ある時は傷つき、ある時は勇気を奮い起こし、ある時は逃げ出したように、芳雄君は「冒険」を繰り広げた。そこに『神様ゲーム』がジュブナイルとして書かれる意義があったとも言えよう。今まさに「傷ついている」子供たちにとっては、芳雄君は自らの分身として映るはずだ。彼の末路に共感を覚えるか反発を覚えるか、その反応は極端だろうが、それはまさしく芳雄君が読者の鏡として機能しているからである。
 私は別に、『神様ゲーム』を世の親たちに対して「ぜひ子供に読ませろ」なんて言うつもりはない。前にも書いた通り、子供は読みたいものは勝手に読む。その理屈が分かっているはずのグータロウ君が、あえて「子供に読ませたくない」というのはあまりにも傲慢だし、「読書」は何のため誰のためにあるものなのか、その意味自体を見失っている。読書は読む当人のためだけにあるものだし、その意味も当人にしか考えられないことなのだ。
 親として、毒のある物語を読ませたくないと感じる気持ちは分からないでもないのだが、それを言い出したら毒だらけのSFやミステリーはみんな読ませちゃいかんだろう。じゃあ彼は何を子供に読ませたいのだろうか。それって子供を純粋培養するために「ディズニー映画だけを子供に見せていたい」と言ってるのと同じだってことに気が付かないのだろうか。せいぜい「うちの子にはまだ早いな」って言うんならまだ理解できるのだが、「必要ない」と言うに至っては、もう彼自身が「カミサマ」になっちゃってるにようにしか見えないのである。
 グータロウ君がなんでまたそんな思考停止状態に陥ったのか、定かではないのだが、やっぱりネットを漁ったのがよくないんじゃないかな。言葉だけが浮遊しているネットってのは、情報伝達の方法としては非常に単純化されてるために、受け取る側はその送り手の他の要素を鑑みて客観的に判断することができにくい。そこに自然と「洗脳」効果が生まれてるんだよね。
 だからまあ、ネットなんてのは顔見知りのブログ見るくらいに留めといた方が無難なんじゃないか。とか何とか言ってたら、話が横に逸れてきたんでこのへんでやめとこう。


 仕事帰りの私を駅まで迎えに来たしげが、とんでもないことを言い出した。
 「あさっての二日市温泉行きだけどさあ、調べてみたけどここからだと車で一時間半かかるみたいよ?」
 「何言ってんだよ、三十分かそこらで着くよ」
 「あんた、うちから行けるところはみんな三十分だと思ってない?」
 そんな馬鹿なことがあるわけないのだが、大野城まで二十分弱、大宰府まで三十分くらい、二日市はもう目と鼻の先だ。多少渋滞に引っかかったとしても、一時間はかかるまいというのが目算なのだが、出かけるのが夜だし、初めての道なので自信がないと言う。
 それなら午後六時の出発予定を少し繰り上げる必要があるかと思い、父に電話してみる。
 「しげが『二日市まで一時間かかる』って言いようっちゃけど」
 「そげな馬鹿なことがあるか。三十分」
 確かにそれが常識的な判断なのではあるが、常識が通用しないのがしげであるから、油断はならないのである。
 狙っていたわけではないが、相談も兼ねて、食事に誘われる。

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10月13日(木)
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