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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■あれもこれも/『ウルトラマンマックス』第15話「第三番惑星の奇跡」/『BLOOD+』第一話「ファーストキス」
 特技監督も兼ねた三池監督は、イフに蹂躙された東京の街をまさに東京大空襲の再現として描いた。ご丁寧にも、その街をさまようアッコは防空頭巾を被っている。言葉で「兵器の過当競争は人類を滅亡に導く」と強く主張しても、それはあまりにも繰り返し語られすぎてきたために、人の心に届かせるだけの波及力を失ってしまっている。しかし、映像にはまだその力が残っているのではないか。親が子にこのエピソードについて語るとき、「昔、これと同じことがあったんだよ」と語れるだけのビジュアルが、そこには展開されていた。そのリアリティが、このドラマを基礎からしっかりと支えている。
 アッコは、小休止しているイフの前で、「怪獣さんも音楽は好き?」と言ってフルートを吹き鳴らす。奏でられるのはショパンの「別れの曲」だ。アッコは別に怪獣に対して何かをなし得ると考えて笛を吹いたわけではない。それはどちらかというと自暴自棄というよりは狂気にかられての行動と言った方が妥当だ(このときのアッコ役の佐々木真緒ちゃんの演技、これがまさに何かが憑依したような名演)。しかしそれが奇跡を生む。
 イフはその体内に「音楽」を取り込んだ。そして、アッコとともに「別れの曲」を合奏する。焦土に鳴り響く交響曲。全身、巨大な楽器となったイフは、ウルトラマンマックスにいざなわれて、宇宙に帰るのだ。
 いくつか、今回のエピソードについての感想をネットから拾ってみたが、中には「きれいごとだ」とか「偽善的だ」と非難していた意見が見受けられた。しかし、地球がイフから守られたのは、全くの偶然からである。誰かの尽力が実ったわけでもなんでもない。「一人の少女が地球を救った」と言っても、アッコはナウシカのように信念も思想も持っていたわけではない。危難に際しては誰かが立ち上がるだろうという希望すらもこの物語にはないのだ。
 だからこの結末は「夢」でしかない。戦争という現実の前では、我々は「夢」を見ることしかできないという、極めて冷徹な現実認識を前提として、この物語は成立しているのだ。そこんとこを見抜けないと、この話の結末がどこか「ヌルく」感じられてしまうだろう。
 あるいは絶対平和主義的サヨク思想に基づいて描かれていると勘違いして見えてしまうようである。でもそれって、脊髄反射でありきたりかつシニカルっぽい言質を弄してるだけじゃないかって思うんだけどね。通ぶってるだけのキモオタの意見によくあるタイプよ。
 子供向け番組だからということで三池監督は決して手を抜いちゃいないのだよ。
 これは一つの寓話であり、「理想」を描いた物語ではあるが、決してキレイゴトでもなければ絵空事でもない。戦争という現実が回避されるとしたら、それは「奇跡」でしかないのではないか、という悲しい問い掛けなのである。
 事前に情報チェックはしてなかったので、「素」で見て(オープニングのクレジットを見損なっていた)「何だ、この出来の良さは!」と驚いて慌てて公式サイトを見てみたら三池監督の作品だったと知った次第。だから「名前や経歴」の先入観で誉めているわけではない。来週の『わたしはだあれ?』でも三池監督は続投するらしいが、次はナンセンス・ギャグ編になりそうである。今週の感動編を期待して見ると当てが外れるだろうから、気持ちを切り替えて「これもウルトラ」という気分で見ることにしましょうかね。


 アニメの新番、福岡には殆ど来ないので(『アカギ』も『蟲師』もやらねえぞ。くそ)、多分にふてくされているのであるが、もうケーブルで再放送を見るか、自分でDVDを買うかしかないのである。
 そんな悲惨な状況の中で、『BLOOD+』だけは夕方六時台をゲットできたのは、まあ次の『ガンダム』までの場つなぎだとしても(苦笑)、ありがたいことである。
 映画版『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は、押井塾の企画作品として、劇場公開されているが、そんなにヒットしたようにも思えなかったので、こうしてテレビシリーズが作られることになったのは正直驚きである。

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10月08日(土)
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