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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■腹へりスズメ/『仮面ライダー響鬼』三十五之巻 「惑わす天使」
『仮面ライダー響鬼』三十五之巻 「惑わす天使」。
プロデューサー&脚本家変更の騒動も、一月半もすればかなり沈静化してくる。まだまだあちこちでくすぶってる感じはあるけれども、そろそろ半可通なオタク諸君も虚心坦懐に物語を見るくらいの心の広さを持ってもいいんじゃないかと思う。なんかもーね、30話以降否定派の人たちの文章って、内容よりもその筆致がムキになってるって言うか、ヒステリックで見てらんない。
今更、例の『エヴァンゲリオン』騒動を引き合いに出すのも何なんだけれど、ある作品にハマっちゃうと、視聴者は自分の作品に対する好悪の感情が、善悪の判断にスライドされてることに気が付かなくなるものなんだよね。何かを好きになることがいけない、なんてことを言うつもりはないけれど、感情の暴走を抑制するための「もう一人の自分」は心の中に置いとかないと、実生活を送る上で、いろいろヤバいんじゃないか。私が自分自身もオタクだと認めながらもオタク批判を往々にして口にするのは、オタクと呼ばれる人々の大半が相手との会話のフィールドを作る努力を怠っていることを経験的に知っているからである。濃い人薄い人、プロ・アマを問わずにね。いやもう、みんなただの「ワガママ」野郎ばかりだわ。
「はてな」の「井上脚本」の項目にはこう書いてある。
> 脚本家井上敏樹氏の書いた脚本。
> 特撮番組、それも平成ライダーの時の井上脚本には、カット割りから、挿入されるSE(効果音)、役者の衣装など、演出に関わる事柄が全て指定されている、と思い込んでいる人がたまにいる。そういう人たちはキャラクタやアイテムのデザインすら井上氏が決めているのだと思っていたりもする。
「井上が」「御大が」とか言ってる連中は、一般人からは「そういう見られ方」をしてるんだけど、全然気付いてないんだろうなあ。
ついでに「ウィキペディア」の井上敏樹解説にはこうある。
〉 「シナリオは映像のための設計図に過ぎない」が持論で、脚本ではそのシーンの大意を示すにとどめ、セリフの解釈(そこに込められた登場人物の感情の機微など)などの詳細は演出家や俳優・声優に委ねるという執筆スタイルをとる。
緊急招聘の途中参加であるから、今回の脚本も、監督に投げ渡しされたと思しいし、現場での変更も結構あったと思う。すぐに「井上が」と責任を脚本家にのみ押し付けようとする連中は、それだけで既に常軌を逸しているのである。
まあ、そういう周辺事情はともかく、作品自体は確かにどんどんイカレた展開になっている。29話までも話が異様に進まなくて「この物語はいったいどこに行こうとしているのか」と不安に思っていたものだったが、別の意味で今の『響鬼』はどこに行こうとしているかよく分からない。もしかしたらプロデューサーも脚本家も、「どうにでもなれ」と思いながらやってるのかもね。
最近、登場人物が次々にギャグキャラになってく大海嘯にザンキもイブキも飲みこまれてしまった。腐海に沈まずにすむやつはいないっつーか、何だか本当に『ゴレンジャー』が『ゴレンジャーごっこ』になっちまったようである。
でも、ザンキがトドロキに恋のアドバイスをして失敗するのは「おれは数々の女性を愛してきた男だ。それこそ鬼のようにな」「オレは今恋の地獄にいる」などのイカレた発言が楽しかったので、これは許す(偉そうに)。シリアスなザンキさんがお好みのファンはどうせまた「私のザンキさんを返して!」と叫ぶんだろうが、知ったことか。もともとザンキは、「こいつは何だって一人だけカッコつけてやがんだ」というギャグに転ぶギリギリの線にいるキャラクターだったから、これで立場がスッキリしたというもんである。これと、モッチーのラブレターが実は勘違いだったというのは想定内だったので、ショックはない(笑)。
けれど、イブキが、香須美がほかの男と付き合ってると勘違いするのはかなりムリがあった。遠目で見たって下條アトムはすぐに分かる(笑)。こういうのは実写じゃ向かないベタギャグである。
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10月09日(日)
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