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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ぴゅーぴゅーざーざー/『サマー/タイム/トラベラー1・2』(新城カズマ)
みんな、何を勘違いしてるかって、そもそも29話までだって『響鬼』には「絶対崩してほしくないドラマ全体の匂いやバランス」なんてものは無いじゃん、ってことなんで。「いきなりミュージカル」で始まって、「魔化魍」に「ディスクアニマル」に「音撃戦士」に「猛士」に「鬼は名字と名前のイニシャルが同じ(ってことは桐矢君も鬼候補か)」に「葛飾柴又の甘味屋の下條のおやっさん」に「擬似寅さんと満の関係(と思ってたらいつの間にかヤオイ)」にと、こんなデタラメな話のどこに「世界観」なんてもんがあるかい。いくら平成版『仮面ライダー』が旧版からのイメージの脱却を狙ってるからと言っても、やりすぎだろうって反発はあって当然なんだが、それがさほど言われなかったのは、これはもう「ライダーファン」から「あきらめられてる」面もあったからなんだよ。
だから『響鬼』は同じ石森原作でも『ゴレンジャーごっこ』か『ちゃんちきガッパ』だと思って見るしかないなあ、だから「なんでもあり」なんだよなあと思ってたんで、それが百も承知なら、「崩してほしくない世界観」なんてものを自分勝手に脳内補完しちゃいけないよ。昨日の日記にも書いたが、安易に「こんなの(オレの)ヒビキじゃない」なんて言うのは現場の役者さんたちに対して失礼だ。せいぜい、「桐矢のキャラ、何もあそこまでマンガにしなくてもよかったんじゃないか」くらいに留めておいたほうがいい。でないと「荒らしさん」と同じ穴の狢だ。
ああ、それから送ればせながら、誕生日おめでとう。また一つ先を越されてしまった。ちなみに今日は永井豪の60歳の誕生日だ(笑)。
新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー1』・『同2』(ハヤカワ文庫)。
作者の新城カズマさん、生年不詳の架空言語設計家さんだそうである。でも、小説の中身を読んでくと、SFに対する言及の様子から見て、まあ三十代以上ってことはまず間違いないなってところである。四十代越えてるかもね。
二巻に渡る長めの長編だけれども、粗筋だけを紹介すれば、ある日、時間跳躍の能力を手に入れた何の変哲もない少女が、「ここではないどこかへ」行きたくて、友達も家族も、街も置いて、未来に向かって駆け去っていく、それだけの話である。それがなんでこんなに長い話になっちゃってるかって言うと、あいまに登場人物たちの「SF談義」とかが延々と書き続けられてるからなんだね。普通の小説ファンにはまず付いてこれないだろうことは間違いない。もちろんこれは作者の確信犯的なシワザであって、つまりこれは、「SFファンのSFファンによるSFファンのためのSF」であることを高らかに謳ってるんである。
そのエッセンスを説明することはなかなか難しいんだけれども、例えば物語の語り手の卓人が、友人のコージンと初めて出会うときの会話を見ていただきたい。
ある本を読んでる卓人に、コージンが声をかける。
〉「『伝奇集』かよ。面白れえのか。それ」
〉「まあね。『円環の廃墟』とか」
〉「ふん。わかってねえのな。『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』だぜ。一番は」
読んだ瞬間、背中がゾクッとした人は私のお仲間である(笑)。でもって、もし私が彼らと同じ高校生で、彼らの会話に参入できるのなら、「ルイへ・ボルヘスはなぜ英語で小説を書くことをせずに、母国語のスペイン語に回帰したのか」とか、どこぞの本から受け売りで仕入れた知識で論争を吹っかけたことだろう(若いときはこういう青臭いことをしてもいいのである)。
「SFとは何か」って論争は、我々の世代が学生のころにはそれこそ毎日のようにやっていた。世界の全ての問題に優先することだと思っていたと言っても過言ではない。けれど、SFが死滅してしまった現在では大学のサークルですらあまり語られていないのではないかという気がする。だからそれだけでもこの小説は懐かしい。作者が同世代じゃないかと考えるのはそのあたりにも理由がある。
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09月06日(火)
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