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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■シメキリギリギリ/映画『奥さまは魔女』
先にフードコートで軽くヤキソバを食って、福家書店で何冊か本を買ったあと、映画館に向かう。
先週の興行収入が三位と言うから、そんなにヒットしてるんか、席は空いてるんかいな、とちょっと心配していたが、入場してみるとそこそこの入りで、混んでいるというほどでもなかった。たいていの客は『室井慎次』の方に行ってるんだろう。どっちもお客さんの評判はあまり芳しくないらしいが、『奥さま』の場合、リメイクものだってことで既にハンデがあるのである。多少は大目に見てやろうかって気分で見たおかげで、腹が立つとまでには至らなかったが、確かにもちっと工夫がほしかったな、という印象ではある。
基本設定は「この手があったか!」と膝を打ちたくなるくらい、いいアイデアだと思うんである。普通に『奥様は魔女』をリメイクするんじゃなくて、「『奥様は魔女』をリメイクしようとしたら、ホンモノの魔女をキャスティングしちゃった!」という意外性。つまり、劇中劇のドラマと、そのバックステージが二重に楽しめるという、まあよくある手法ではあるんだが、「リメイクもので」これをやったってのはあまり例がない。
それもサマンサ役がまた、シティボーイズの皆様方も憧れの(っつってもきたろうさんと斉木さんだが)演技派、ニコール・キッドマンだというのだから、ちょっとこれは期待したくもなるじゃないのよ。
ところがねえ、これがなかなか面白い方向に転がっていかないんですよ。まず、主演のニコールにどうしても愛嬌が足りないのがドラマを今ひとつハジけさせてくれない。唯一無二のサマンサ、エリザベス・モンゴメリーと比べるのは気の毒ではあるのだが、ニコールがどんなに表情を豊かにしようとしても、「キョトンとした顔」「しかめっ面」「ツンとした顔」「慌てふためく顔」「ホッとした顔」、その一つ一つがエリザベスに比べて魅力に欠ける。
いや、そもそもサマンサがそんな顔をするのは彼女の回りに様々なトラブルが生じるせいなのだが、今回、ニコール演じるイザベルは、ほとんどトラブルというほどのトラブルには見舞われない。たとえバックステージものだとしても、「トラブルのない『奥さまは魔女』」など、リメイクの価値があると言えるだろうか?
イザベルの父、ナイジェルを演じるのはマイケル・ケインである。サマンサの父親、モリースが、人間との結婚に激怒してダーリンを散々な目に合わせたことを思い出せる往年のファンならば、このナイジェルが、イザベルを口説いたジャックに何らかの鉄槌を下すんじゃないかと期待するだろう。ところがナイジェル、エンドラ役のアイリス(シャーリー・マクレーン!)に惚れちゃってイザベルのことなんか気にもかけなくなってしまう。……何のために出てきたんだこのオヤジ、っつーか、役者の使い方間違ってるよ!
ナイジェルの代わりとばかりに、オリジナル版でもボケた魔法で人気のあったクララおばさんがジャックに呪いをかけるのだが、これが効き過ぎて、ジャックがイザベルにぞっこんになっちゃうというのも、「クララおばさんにしては」地味な失敗である。どうしてジャックを犬にするかワニにするか皇帝ペンギンするかくらいのことをしなかったのかね。魔法の面白さがまるで伝わってこないのである。
ジャック役のウィル・フェレルも熱演はしているのだが、もともと落ち目のスター役者という設定で、普段からハイテンションで過剰な行動を取っているから、魔法にかけられて急にロマンス野郎に変身したりしても、たいしてその落差の面白さが出ないのである。普段はマジメなサラリーマンが奇妙な行動を取ったりするからおかしいのに、ダーリン役の人間を元からエキセントリックなキャラに設定してどうする。監督も役者も、ギャグのコツってものがまるで理解できていないのだ。
人物設定の分かりにくさも随所でドラマを停滞させてしまう。オリジナル『奥さまは魔女』はこの映画の中でもあくまでドラマだから、サマンサやダーリンは当然、架空の人物である。ところがクララおばさんやアーサーおじさん、隣のグラディスさんとかはこの映画の中でも実在人物なのだ! これはどう考えればいいんだろうかね?(多分、監督は何も考えていない)
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09月01日(木)
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