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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■帰りなん、いざふるさとへ/映画『地球の危機』
 でも、「叱っても誉めはしない」というのが昔の職人というものなのだから、姉にも父の愚痴にもちっとだけ堪えてほしいとは思う。これ以上、姉が床屋としての腕を上げることが至難であることは承知の上でそう思う。私は姉から店を取り上げるつもりがないことを伝えているのだから。


 帰宅したらちょうど「24時間テレビ」で丸山弁護士の100キロマラソンの特番が放映されていた。24時間テレビを見るたびに「結局、日本人てのはこういう『ハレ』の舞台を用意してやらなきゃ他人のことなんて考えられない民族なんだなあ」と悲しくなってしまうので、あまり熱心には見ない。
 けれどもさすがに今回の丸山さんの走りにはいやでも注目させられてしまった。なんでこの人が、60も間近になって走らなければならないのか、理由が見えない。理由が分からないのだけれども、やはり満身創痍の丸山さんが完走して武道館のテープを切ったとき、私は涙ぐんでしまっていたのである。この涙は何の涙か。私は何に感動してしまっていると言うのか。
 間寛平に始まって、もう十年以上続いているこの100キロマラソンであるが、実のところこれがどうして募金に繋がるのか、意味は不明である。毎回のランナーはただ苦しい思いをして走っているだけである。それが感動を呼ぶのは、やっぱり「走る」という行為そのものに、「意味はなくとも感動してしまう何か」があると判断するしかないのではなかろうか。
 『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』で、あたるは世界を変えるために「意味もなく」走った。『オトナ帝国の野望』で、しんちゃんは町を救えるのかどうか分からないままにタワーを駆け上った。全て、「意味なんてない」のである。
 「無償の愛」ってのはつまりは「理屈なんてどうだっていい、ともかくオレは(私は)こいつを助けたいんだ」という気にさせたくなるということなんだろう。
 亡母が昔言っていた台詞も思い出した。
 「辛いことがあったら走れ」
 意味なく走ることが、意味なく生まれた人間の生き方としては一番正しいのかもしれない。 


 WOWOWで録画した映画『地球の危機』。
 タイトルはありふれているけれども、パニック映画で知られたアーウィン・アレン製作の往年の特撮テレビシリーズ『原子力潜水艦シービュー号』の元になったのがこの映画。映画版もテレビ版も、原タイトルは『Voyage to the Bottom of the Sea』。直訳すれば「海の底への航海」となるところだけれど、これはぜひ「深海探検」と訳してほしかったものだ。『海底二万哩』のジュール・ヴェルヌへのオマージュがこれだけ明白な映画なんだから(映画中にもヴェルヌへの言及がある)。まあ、一昔前のSF映画なんて、こんな安っぽい味方しかされちゃいなかったんだよな。
 テレビシリーズは四十以上の特撮オタクには有名な番組だけれども、これももう再放送すら見てない若い人の方が圧倒的に多くなっちゃったから、一応の説明が必要になってしまっている。海洋調査研究所のネルソン提督が建設した原潜シービュー号とそのクルーが、世界の危機を聞きつけると公海であろうとなかろうとどこへでも出向いて行って事件を無理やり解決してしまうという、海版『サンダーバード』みたいな番組。さすがに40年前となると、私もディテールは覚えてない。映画版も確かテレビで見たはずだが、もう全然忘れちまってた。

 流星雨の影響で、突如燃え始めたヴァン・アレン帯。地球は一日に1.1度ずつ上昇を始める。79度を越えた時、地球は灼熱の星と化してしまうのだ。急遽招集された国際会議で、ズッコ博士は自然消火するから放置すべきだと主張する。
 ネルソン提督は、核ミサイルでヴァン・アレン帯自体を破壊しないと、この現象は収まらないと反論し、大統領の承認も得ないまま、作戦を決行するために、シービュー号をマイアミに向かわせる。
 しかし、肝心のシービュー号のクルーも決して一枚岩でなく、世界の滅亡が刻一刻と近づく中、ついに反乱分子がシービュー号の破壊工作を始めるのだった……。


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08月30日(火)
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