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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■優勝旗はどこで振られるか/『舞シールド21』(安永航一郎)
オタクはすぐに「一般人は知らないだろうけれども」と前置きして自分を特化させたがるが、知識があったって、それを運用する素養がなきゃ、そりゃただのウンチク垂れの知ったかぶりだ。いわゆる「サロンの馬鹿」というやつである。そこんとこに気付かないオタクや腐女子がやたら他人には興味のないオタ話を延々と披露して、自分だけ悦に入っているのだが、そういうやつがオタクの中でも一番「イタい」のである。みんな自戒しようね。
久しぶりに若人あきらさん(笑)の顔を見たが、もう郷ひろみのモノマネは無理っぽい感じである。もちろんご本人もやる気はなかろうが、私は昔の芸風の方に親しみを覚えているので、がしゅういんなんたらという今の芸名にはどうしても違和感を覚えてしまうのである。カルシファーの声は若人さんの芸の一つに過ぎないのに、それだけに芸風が固定されてしまっているような印象があってね。横山千佐は声を変える前の方がよかったとか、そんな感覚だろうかね。
映画の方はDVDも買っているし、今見返さなくてもいいのだが、放送されているとつい見入ってしまう。
劇場で見たときにも、私はよくぞこれだけ正統的な「漫画映画」を作ってくれたものだと感動を覚えたくらいだったのだが、世評はあまり芳しくなかった。
今回、この映画を初めて見た人は、「こんなに面白いのに?」と驚くことだろうが、ともかく「宮崎駿信者」が一番ハバを利かせていたころのことで、どうしても宮崎作品と比較をして、貶さなきゃ気がすまないといった雰囲気だったのである。
「少女マンガだ」なんて批評はいったい何の文句を付けたいんだか訳が分からない。まさにこれは少女マンガの映画化だと言うのに。
フシアナ批評の最たるものは「宮崎駿のモノマネだ」というやつで、宮崎駿が『風の谷のナウシカ』以降捨て去ってしまった「古き良き漫画映画」の世界を、森田監督は見事に復活させてくれていたのである。
作画面で言えば、ハルの背骨が今イチしっかりしていなくて、首の座りもよくない、ちょっとトシヨリ臭く見える演技の作画、これは宮崎作品のヒロインにはついぞなかったものである。こういうキャラクターは全然宮崎監督向きじゃないよね。
『キネマ旬報』で、ヒョーロンカと称する連中は、森田監督の快挙を完全に無視し、その年のベストテンではただの一票も入らなかったと記憶する。批評家によって視点が違っているとは言え、興行収入一位を記録した映画がここまで無視されるというのは異例のことだ。何らかの偏見があったことは確実で、この愚挙は歴史上の汚点であると言っていい。
キネ旬子飼いのヒョーロンカどもは、映画の本質が何一つ見えていないのに「映画評論家」の看板だけは堂々と掲げているのだから、こういう羊頭狗肉のヤカラには天誅を下してやるのが妥当だろう。誰か簀巻きにして川ん中に叩っこんでやってくれ。
再度見返した『猫の恩返し』は、スタジオジブリは今後、この路線の映画を作っていかなければ未来はないと感じさせるものであった。ジブリには実はディズニーのミッキー・マウスのように、そのアニメスタジオを代表し、「使い回しの利く」キャラクターがまだ生まれてはいない。「トトロ」は、短編での続編は作られているが、もともと世界が一作で完結しており、長編での続編は作りにくいだろう。何より、宮崎駿以外の監督にキャラクターを任せようがない。それは他の作品においても同様である。
しかし、「バロン」は使い回しの利くキャラクターである。もともと『耳をすませば』の月島雫が書いた物語の登場キャラクターではないか。雫が、本当に童話作家になれたのなら、「バロンの物語」は、これからも「書かれ続けなければならない」はずなのである。「しばしのお別れ」のはずが、もう随分長く間が空いていないか。
沖縄体液軍人会(安永航一郎)『そらからこぼれたすごい汁』『舞シールド21(おとな用)』。
同人誌の感想書くのはこの日記じゃ初めてかな。しげが「とらのあな潜入」を嫌がんなきゃ、もっと早くにアレとかコレとか感想書けたとは思うけど。
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08月26日(金)
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