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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■14万ヒット御礼/DVD『英国戀物語 エマ』1、2巻
 ついこないだ、古川薫の『花も嵐も』を読んだばかりだったので、比較して気付いたのだが、映画では田中絹代と城戸四郎の男女関係については一切触れていない。松竹社長の城戸四郎は、単に田中絹代のよき保護者ということだけの存在ではなかったのだが、そこを描かないと、物語は表面の上澄みだけを掬い取ったような、キレイゴトの世界にしかならなくなる。徴兵忌避をして失踪した絹代の長兄の存在にも一切触れない。この兄の存在が、田中絹代の人生にどれだけ大きな影となってその道を縛ってきたか。それもこの映画は一切描かない。
 実在人物を扱っているのせいで何か差し障りがあったのかもしれないが、だったらもう田中絹代の名前を使わないで映画化した方がよかったのではないか。溝口健二、五所平之助、清水宏、城戸四郎などは名前を変えて登場しているのに、小津安二郎や鈴木伝明、大日向伝、牛原虚彦などは実名のままというアンバランスさが、この映画の居心地の悪さをそのまま象徴しているのである。随所に映画史に残る傑作のスチールやフィルムが挿入されるが、これがまた物語の流れを阻害して鬱陶しくて仕方がなかった。
 この映画だけを見て田中絹代という稀代の女優を判断されてしまうと本気で困る。こんな中身スッカラカンの伝記映画を見るよりは、オリジナルの田中絹代の映画に当たってもらいたい。日本映画専門チャンネルとかで時々放映してるから、まめにチェックしてくださいな。代表作の『愛染かつら』は今の若い人には少々辛いかもしれないけれど、感性が磨耗してなければ見所はたくさん発見できると思う。『伊豆の踊子』『お琴と佐助』あたりは文芸好きな方には必見だし、『西鶴一代女』『雨月物語』は日本映画黄金期の映画が世界に与えた影響の大きさをその画面から如実に感じ取ることができる。『サンダカン八番娼館 望郷』はもう役者の演技ってここまでの表現ができるものなのかって驚きに魂が震えるほどだ。


 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 靖國論』(幻冬舎)。
靖国神社をどう考えるかってことについての私の意見というかスタンスは特にない(笑)。誰が何を信仰しようとそりゃ当人の自由なんだから、知ったこっちゃないって言った方がいいかもしれない。私には右も左も関係ないし、カミサマとか英霊も信じてないから、基本的に靖国に対する思いは何もないのである。
 だからと言うわけではないが、靖国問題に関して私は、右とか左とかに左右されずに、比較的客観的に状況を見られているほうだと思う。つまり私は別に小林よしのり信者ではないということで(笑)。このことを先に明言しておかないと、やたら「てめえ、右だろう」と勘違いされてしまうので、面倒くさいのである。
 基本的に小林さんの靖国神社についての歴史認識と判断は普通に正しい。「靖国の存在自体がかの侵略戦争を肯定している」というアチラさんの主張が難癖に過ぎないことは、「靖国に祀られているのはペリー来航以来の英霊」という事実だけで簡単に証明できる。それなのにいつまで経ってもアチラさんが難癖を付けるのを止めないのは、アチラさんが「反日」を国家統合のためのスローガンとして利用しているからだ。
 日本人にとって神社とは宗教というよりは「習俗」なのであって、政治にも信仰にも関係なく、これを拝む。初詣をするクリスチャンがいてまるでおかしくないのは、日本においては宗教が常に習俗化される文化が存在しているからだ。「食事の前に手を合わせる」のも何かに対して拝んでいるわけではない(ご先祖様だったりお天道様だったりするが、極めて曖昧である)。
 外国人は日本人の宗教ちゃんぽん行為に首を傾げるが、こういった習慣・文化を知らなければいつまで経っても疑問は消えないだろう。お隣さんたちは自分たちが日本の文化のルーツだと信じていて、宗教観も似たようなもんだと思い込んでいるから、なおのこと理解が難しくなってしまっている。日本人の宗教観はかなりの部分で他国と隔絶しているのだ。
 だから私も、カミサマなんぞ信じちゃいないが、神社に行けば手を合わせる。靖国で手を合わせても、これは「あなたたちの無念を晴らすためにいつかあの国とかあの国とかあの国をぶっ潰してやりますから」という意味にはならない。

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08月10日(水)
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