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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■おしまいはおしまい/DVD『ベルヴィル・ランデブー/老婦人とハト』
 またすぐに自殺未遂なんてことにはなりそうにないし、なったとしても実効性はあまりないことしかしそうにないから、いざというときは何とかなると思いはするのだけれども、脈絡もなくいきなり「オレ、母ちゃんと一緒にいられたの、どっちも五年だけだ」とか呟くのを聞くと、もちっとセルフコントロールしてほしいものだと切に思う。
 要するにしげがどうして自殺なんてことを考えたかというと、私が先に死ぬのがいやだったからである。
 先日、父としげと三人で食事をしたときに、父がいつもの口癖で「お母さん、なんでオレより早く逝ってしもうたかなあ」と呟いたので、「年の順だから仕方ないよ。僕がお父さんより先に死んだらやっぱり怒ろうもん」と私が言ったこともしげの記憶に残っていたのかもしれない。
 でも、十中八九、私の方がしげよりも先に逝く。多分、それは避けられない。
 そのことをしげに言ったら、「あんたは私が死んでも寂しくなかろ?」と来た。
 言いたいことは分かる。私は昔から孤独に慣れているから、しげが先に死んでも耐えることができるが、しげの場合は私が先に死んだらとても孤独に耐えるだけの自信はないと言うのであろう。
 確かに私は一人には慣れているが、かと言って、しげがいなくなって寂しくないわけはない。仮に今しげがいなくなっても、そのあと、自分が誰かと再婚する可能性はまずなかろうと思う。「人間は気が変わるものだから」と言われそうだが、これまでしげに散々ヒドイ目に遭わされてきても、全く浮気心が芽生えなかったように(まあ、コンビニで『プレイボーイ』を見る程度である)、しげ以外の人間との結婚生活というものが、自分が50、60歳になったときの状況を想像してみてもいささかもピンと来ないのである。
 私だって、しげに寂しい思いをさせたいわけではないから、しげが70で死ぬなら80まで生きたい。しげが80まで生きるなら、90まで頑張りたいと思う。でも多分、それは無理だ。だとしたら、願うことは「しげに強くなってほしい」。それしかないではないか。
 今まで散々私の期待を裏切ってくれているのだから、せめてそれだけはしげに望みたいと思うのだが、ダメかねこれも。


 先日6日、毎日新聞の報道で、「甲子園大会の開会式前に、広島代表の高陽東高校が全代表校に黙祷を呼びかけようとしたところ、高野連の幹部が『原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない』と制した」、というのは誤報だったと判明。
 あとで関係者に確認したところ、「取材の不備で、そのような趣旨の発言をしていないことが分かった」んだと。毎日新聞は「おわび」を掲載することを決めたそうだが、さて、気になるのは「取材の不備って、何をどう間違えたのか」、その過程だ。
 高陽東と高野連との間で行き違いがあったのは事実のようだが、それはまあ偶然のいたずらで仕方のない面があったのかもしれない。しかしそれがそのまま事実として報道されず、「言葉の捏造」が行われたとしたら、それは誰のどういう意志が働いたせいなのだろうか。高野連は実際に黙祷を制止させたのだから、そこで「何か」を言ったのは間違いないことである。さらにてっきり黙祷を呼びかけられると思いこんでいた高陽東の選手たちが、素直に「はいそうですか」とは言わなかっただろうことも容易に想像はつく。理由を聞くなり、どの程度強くかは分からないが何らかの抗議はしたろうと思う。そしてそのやりとりを新聞記者に伝えた者が脚色なり誇張を加えたとしたらどうか。そこに脚色者のどういう意志が働いたか、記者の受け取り方にもどの程度バイアスがかかったか。
 まさに「伝言ゲーム」のようだが、私もホモオタさんの件で新聞記者に取材を受けた経験があるから「様子」は見当が付く。新聞記者の方が聞けば腹を立てるかもしれないが、あえて断定させていただく。新聞記者とは決して「事実を報道しよう」などとは考えない人種である。かなり恣意的に記事を作り、しかもそれが限りなく捏造に近い創作であるにもかかわらず、自分がウソをついているという認識がない。ゆえに罪悪感も全くない。自分はあくまで「正義」のために「真実」を書いていると思いこんでいる。ハッキリ言えばただの妄想家だ。

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08月09日(火)
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