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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■杉浦日向子さん死去/『ラインの虜囚』(田中芳樹)
 「Yahoo」の掲示板とかでは賛否のうち賛の方が多いようではあるけれど、内容を見ると賛も否もほとんど「キャラ萌え」を基調としたもので、一般客の反応はこんなものかと思う。「『ハガレン』ファンのどこが『一般客』?」と言われそうだが、ポルノグラフィティやアジアンカンフージェネレーションやラルク・アン・シェルの主題歌を平然と何の違和感もなく受け入れられている時点で、私には彼ら彼女らが同じオタクだとは思えないのだ。
 いやさ、我々オールドタイプはその昔、『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の劇場版の主題歌を沢田研次とかゴダイゴとかメアリー・マッグレガーとかが歌ってたときにも「心はささきいさお」だったからね。『鋼の錬金術師』はもう、テレビシリーズのころからアニソン歌手の入り込む余地はなくなっていたわけで、コムロが台頭して来た十数年くらい前から一気に露骨になっていた「アニソン歌手撲滅キャンペーン」は、ほぼ完了してしまったのだなあと実感して悲しかったのだ(もうヤケだ。頑張れ影山ヒロノブ&桃井はるこ!)
 もうちょっと「我々の側」のプロの人が『鋼の錬金術師』について語ってくれたらいいのにと思うのだが、原作もアニメもちゃんとチェックしてるって人、あまり見かけないのだよねえ。夏目房之介さんも原作は読んでてもアニメは見てないらしいし。『エヴァ』のころは履いて捨てるくらいいたオタクな批評家が、それ以降、激減してるのである(あるいは発言を控えている)。ミーハーがいけないなんて言うつもりはないけれども、文化的な背景をも分析した上で、もっと突っ込んだ作品論、作家論がなされていかないと、作品が本当に評価され残っていくことにはならないだろう。妄想爆発で騒ぐだけじゃ、『ハガレン』は10年後には忘れられてしまうアニメになってしまうかもしれない。それでいいのか、腐女子の諸君。


 1991年から1992年にかけて、テレビ東京系列で天野祐吉が案内を務める『夜中の学校』という番組があった。杉浦日向子さんはそこで「杉浦日向子の江戸学」と題して4回に渡って講義をされている(一度『ぶらり江戸学』と題して講義録が単行本化されたが絶版。しかしつい先日、小学館文庫から『お江戸風流さんぽ道』と解題され、入手可能になった)。
 「江戸前概論」「江戸前の食文化」「江戸前ファッション考」「江戸前の恋愛学」の四つで、短期間の集中講義形式ではあったが、実に面白くかつ身のある内容の番組だった。私の江戸に関する知識は、実はこの番組で学んだことでほぼ尽きている(笑)。
 しかし、番組を見て、タメイキをついて感心していたのは、その深い内容ばかりでなく、講師の杉浦さんの美しさにであった。
 『夜中の学校』だから、後の『お江戸でござる』のときの無難な話ばかりではない。際どい話も結構出てくるのだが、「親指が反ってる女は床上手って本当ですか?」という質問に対して、「幕末頃に出てきた説ですね」と屈託なく答えてしまう様子が、何とも爽やかで少しもいやらしくない。いやらしくはないが、人間の魅力に溢れている。
 ちょっとだけ眉間に皺が寄るとそこに清楚な色気がふっと生まれる。そういう無意識の色気が杉浦さんの仕草の一つ一つに表れている。「小股の切れ上がった」という慣用句を説明するときに、普通それは「女性の足の美しく伸びた姿」として語られることが多いのだが、「うなじのあたりを指すって説もあるんですよ」と、いきなりご自分の髪を上げてうなじを見せてしまう。まさしく少女のような無防備さ無邪気さであるが、スタジオで真正面にいたお客さんなんかは、一瞬、ドキドキしてしまったのではなかろうか。江戸時代のベルダンディーと例えた方がオタク少年たちには理解が早いかもしれない。エロ話を嬉々として語る下品なコムスメタレントとかとは次元が違うのである。
 「匂うような」という表現が比喩ではないほどで、微笑みながら、あの訥々というわけでもないのだが静かで、しかし軽やかさを感じさせる涼やかな声の、何とも表現のしようのない独特の口調で江戸話を語られる姿は、江戸時代人がそのまま現代にタイムスリップして来たかのような風情すら漂わせていた。

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07月25日(月)
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