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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■見えるものと見えないもの/『こころ』(夏目漱石×榎本ナリコ)
マンガ、夏目漱石×榎本ナリコ『こころ』(小学館)。
小説のマンガ化はたくさんあるけれども、『こころ』に着目した例ってのはあまりないんじゃないか。時代を現代に移してはいるが、ストーリー展開やセリフはかなり原作に忠実である。だからこそ、「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」というKのセリフなどは現代人のセリフとしては違和感を感じてしまうのだが、まあ、時代錯誤な人間はいつの時代でもいるものだし、かえってそのことが登場人物たちの性格を際立たせている結果になっている。
もちろん、「マンガ」という「形象」を伴っているがために、「私」も「先生」も「K」も、原作のように複雑で多様な解釈の成り立つ人物ではなく、ストレートに感情を吐露する人間として表されてはいる。その「単純さ」を嫌う読者もいるとは思うが、そもそもコミカライズや映像化というのは、作者の解釈が極めて限定された方向に働くものである。『エヴァンゲリオン』の流れの上にある榎本ナリコのキャラクターデザインは、センシティブな上に狂気の匂いすら孕んで、危険で蠱惑的だ。
特筆すべきは、夏目漱石自身が「失敗」と呼んでいる構成上のミス、後半の「先生の遺書」のボリュームだけが異常に肥大してしまった点が改善され、バランスのよい物語になっていることだろう。おかげで原作の「私」は「先生」に比べてすっかり陰が薄くなっているが、榎本ナリコの描く「オレ」は、充分「先生」に対抗するキャラクターとして屹立している。
更にもう一人、やはり原作では陰の薄い「お譲さん」こと「静子」が、「肉体」を持ったことの効果は大きい。漱石は必ずしも身体描写が得意な作家ではなかったので、ここにコミカライズされるべき意義を見出したのは榎本さんの慧眼であっといってよいだろう。まさか「先生」と「静ちゃん」のセックスが見られるとはなあ(映画では例があったけどね)。
二人の恋の結末も、原作とは違っている。「現代ならば」、彼らの問題がどのような結末を迎えるべきか、それを明白に示した点で、今回のマンガ化は見事な「思想小説」になっている。ブンガクファンも読むべし。
06月02日(木)
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