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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■おお・それ・みよ!/映画『機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者』
Yahooの映画投票では『ミリオンダラー・ベイビー』に次いで期待度が2位だったのに、劇場側もリサーチが不充分なのである。
今や信じがたい話ではあるが、本放映時の20年前、テレビシリーズ『機動戦士Zガンダム』第1話『黒いガンダム』を見た友人Kは声を上気させてこう言った。
「見たか? あの作画レベル! トミノ、絶対劇場化そのまま狙ってるぞ!」
私はと言うと、「女のような名前」と言われただけでいきなり相手に殴りかかる「キレる若者」(もちろん当時そんな言葉はなかった)、カミーユ・ビダンを見て、その雑なキャラクター設定に引いてしまっていたので、正直な所、作画レベルの話などはどうでもよかった。けれど友人Kが興奮するのも一応は納得できて、当時は「あれでも」劇場アニメ並みの作画レベル、と思われていたのである。つか、たいていの劇場アニメの作画レベルが低かったんだけれどもね。
今、『ヤマト』や『銀河鉄道999』シリーズなどの劇場版を見ても、最近のテレビアニメシリーズ並みの作画にしか見えない。
当時はアニメの情報は現在よりもはるかに少なく、断片的にしか入っていなかった。しかもようやく入手した情報は、必ずしも嬉しい情報ばかりではなかった。そもそもマトモなアニメファンならみんな、「続編」と聞いただけで、「『ガンダム』まで『ヤマト』化するのか!?」と、苦虫を噛み潰したような顔をしていたものなのだ。つまり、本放映時から、「別にファンは誰も望んではいなかった」企画なのである。それが、「安彦良和はキャラクターデザインのみで、作画には参加しないらしい」とか、「井上瑤も続編には反対していて、セイラさんの出番は殆どないらしい」とか、初めからいやな情報ばかりが相次いでいた。で、現物がアレである。「『ファーストガンダム』(という言葉も当時はなかったが)しか認めない」というファン層が生まれたのもこの頃からなのである。
賛否両論が渦巻いた『Z』は、結局、当時は劇場アニメにはならなかった。それなりの人気は博したが、第一作に比べればとても一時代を築いたアニメと言える代物にはならなかった。しかも、アムロとシャアを中心に描いてきた一連の『ガンダム・サーガ』は、いったん、劇場版『逆襲のシャア』で終わってしまっている(それでも尻切れトンボの印象は強いが)。更なる続編、小説版『閃光のハサウェイ』はついに映像化さえされなかった。
その後の数々の続編、他監督による外伝やパラレルワールド的作品群、「リメイクもどき」などなどが生まれては消えていく中では、もはや『Z』の映画化など、誰が予想できただろう(ゲームで『Z』に人気ガ集まってたことなんて、私ゃ想定してなかった)。
けれど、逆にその「なぜ今」が、『Z劇場版』にかえって新しい魅力を付加しているようにも思う。本放映時の「なぜ?」は多分に「続編なんてやめてくれ」という気分がファンの間を支配していたが、『∀ガンダム』という「黒歴史の封印」を経た後では、「かつての間違った歴史の修正」もありえるのではないか、「今度の『Z』はハッピーエンドです」というトミノ御大の信じられない台詞にも信憑性があるのではないか、『Z』に幻滅した世代にも何かを期待させるものがあったのである。
実際には私のような本放映時のファンの殆どは、既に「ガンダムシリーズ」自体から遠ざかっていて、今『Z』に熱い眼を向けているファンは『ファースト』も『Z』も、全て「既にあるもの」として享受している若い世代だろう。情報はあるが、「時代の空気」を知らないのはかえって幸せである。なにしろ彼らは、何の心の葛藤もなく、『Z』を『ファースト』の素直な続編として認められているのである。
劇場は大混雑だったが、お客は明らかに10代、20代に集中していた。男女比は8:2で男が多く、女性もたいていはカップルの片割れである。一人で来ていた女の子もちょっとだけいたようだが、『SEED』流れの腐女子さんだろうか。まさしく「新世代のガンダムファン」たちである。九州で『Z』が劇場公開されてるのは福岡と熊本だけなので、どうも北九州や長崎あたりから遠征して来ている客もいたようだ。
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05月28日(土)
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