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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■深まる溝(ずっとヒビキ風タイトルで行こうか)/映画『コックリさん』
我々の目当ては『レモニー・スニケットの世にも不幸な物語』だったのだが、今日から公開予定だったはずなのに、3日公開に延期されていた。多分、『コナン』あたりがヒットしているので、同じファミリー映画ということで競合を避けたものだろうか。仕方なく、『コックリさん』を見ることにする。
映画『コックリさん』。
『友引忌』『ボイス』に続く、韓国のアン・ビョンギ監督によるホラーシリーズ三部作の完結編、前作の『ボイス』のときも感じたことだけれども、ワンシーンごとの恐怖描写はそう悪くもないが、一本通した幹となるストーリーが今ひとつ説得力に欠けていて、「面白い」と感じるまでには至らない。そのホラー描写も和製ホラーの模倣臭くて、世評と違って私が見る韓国映画はどれもこれもハズレが多い。今や映画は韓国映画のほうがパワーがある、という煽りも、どこまで本当なんだか。
日本から伝わって流行したとされる「コックリさん」(韓国ではそのバリエーションの一つである「分身様」がなまって「分身娑婆(ブンシンサバ)」と呼ばれる)、日本ではコインを使うのが主流だったと思うが、映画を見る限りでは、韓国では鉛筆をみんなで握る形式が多いみたいである。私も小学生のころ、友達とやったことがあるが、男子が三、四人でこれをやると、必ずイタズラモノがわざと動かしたりしてわやくちゃになるので(「○○はむっつりスケベエである」と言うと、○○以外のやつが一斉に「イエス」にしようとするのだ)つまんなくなるのである。かといって、何も動かさないでいると、当然コインは動かないままなのでやっぱりつまらない。これもただのお遊びでやってただけでマジで信じるやつなんていやしなかったから、あっという間に廃れた。オカルト好きなやつでも、コックリさんに信憑性を感じる人間は、あまりいなかったように記憶している。
けれども韓国じゃ「ブンシンサバ」は長いブームになっていたようで、パンフレットを見てみても主演陣がこぞって「やってたし当たるのが不思議」とか言っている。だから誰かがわざと動かしてるんだってば(笑)。「遊びの文化」はそれぞれの地域の民俗を探るための原点であるので、感覚的な差異はそのまま基本的なところでの「文化の違い」を象徴することになる。この映画になかなか入り込めないのも、「こんな幼稚な遊びに熱中してること自体、そもそもヘンだし、実際に呪いが発動しちゃうのも映画を成立させるための無理やりな展開で、乗るに乗れない」という感覚が生じるせいなのだが、結局これは「お国が違うから」と納得することしかないことで、文句をつけたって仕方がないことでもある。鉛筆が勝手に○や×を描くシーンが少しも怖くないどころか、笑っちゃいたくなる感覚は、韓国人には薄くて、結構みんな真剣に見入ってしまっているのだろう。
『ボイス』のあの子を、ああいう形で出すというのも何がやりたいんだかよくわかんないんだけどねえ。ヒロインはみんな美人なんだけど、「女子高生」役者が軒並み二十歳過ぎってのは、いくらなんでもちょっとなあ。コスプレだ、あれじゃ。
日本映画専門チャンネルで映画『大誘拐』。岡本喜八特集の一本である。
大ヒットもし、後期の岡本監督の代表作のように言われつつも、往年の脂の乗り切ったころの傑作郡に比べると見劣りするとも批判されている本作。私も、公開当時に見に行って、「虹の童子」の車の出現シーンが全然かっこよく撮れていないところや、ラストでお山を見つめるとし子刀自をどうしてアップにしないのかとか、往年の岡本演出を考えれば、明らかに年齢による衰えを感じて寂しく思ったものであった。しかし、今回見返してみてもう一つ思ったのは、この映画に対する「イマイチ」感は、やはり「役者の違い」によって生まれている、ということである。同じカット割り、同じギャグであっても、これが60年代東宝映画の役者陣で演じられていたら何倍、何十倍面白かったろう、と思わせるものが多いのである。
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05月01日(日)
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