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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■楽しんでなきゃデマなんて流れるわきゃないのだ。/『物情騒然。人生は五十一からC』(小林信彦)
公演の中には、「ボリショイサーカス」なんてのもあったのだが、これなんかは定期的に来日していて、協賛がやたらあるせいか、えらく安い。もっとも、今時の若い人にサーカスに対する“郷愁”はそうそう求められないような気がする。既に私がチケットを定額で買ってしまったシティボーイズの『メンタル三兄弟の恋』もしっかり割引きチケットが案内されていて、これなどはそんなにハズレることはないからお勧めではあるのだが、安売りでも四千円ちょっとして、やっぱり会場は「リバーウォーク」の「北九州芸術劇場」なのである。全く、どうして「これぞ」って芝居、北九州にばかり来るようになっちゃったのかねえ。
世の中に趣味娯楽の類は数あれど、「芝居にハマる」というのは、劇団の地方巡業が当たり前だった昔(っても戦前です)ならばいざ知らず、今ではかなり特殊な部類に属すると思う。やはり若いときに本当に「よい芝居」に出会って、心揺さぶられる思いを実感しない限りは、そうそう定期的に芝居を見ようなんて気にはなれないものである。
舞台はどうやったって記録には残せない。演劇関係者の誰もが口にする通り、ビデオで録画しておいても、それはナマの舞台とは似て非なるもので、舞台の魅力の十分の一、百分の一も伝えてはいない。まさしく「そこにいる」ことで誰もが共有する「空気」が、ビデオ画像からは決して感じられないのである。
だから舞台とは、いささかの誇張もない一期一会の「夢」の体験なのであり、はかなく消えるしかない運命を「観客が舞台を見た直後から」担わされているものである。すなわちそこにある「滅びの美」とでも言うべきもの――を見出す感性を持った人でないと、本来、舞台には関われないものなのではなかろうか。思うに、若いころは私以上に舞台の面白さにとり憑かれ(主にヅカだったけど)、その魅力を得々として私に語っていた亡母の職業は「床屋」だったのであり、生前、何かにつけ自分の仕事を「形の残らぬ芸術」だと主張していた。私の芝居好きは、やはり母の血なのかもしれない、と多少のため息もつきつつ、物思いにふける昨今なのである。
私は、映画を人に勧めることはあっても、舞台は、滅多なことがない限り、殆ど勧めることはない。理由はもうお分かりだろうが、「感性」のない人に芝居の面白さを語ることくらい、むなしいことはないのである。
父の店でしげと合流、三人で連れ立って、「焼肉のさかい」。
メニューは任せる、と父が言うので、ファミリーセット(ロース、カルビ、骨付きカルビ、牛ホルモン、上タン、鶏肉、ソーセージ、焼き野菜など)に上ロースとハラミを追加。ともかくしげの「赤み肉」好きに合わせたのだが、それでもしげには物足りなかったらしく、さらにロースを二人前頼んだ。いくら父の驕りだからと言っても、ちょっと食いすぎとちゃうか。父は相変わらず医者に逆らって酒飲んでるので、食はそう進んでいないし、私も野菜中心で肉は一人前程度しか食べていない。どう少なく見積もっても、しげ一人で五人前くらいは食っているのである。これで栄養のバランスが保てるわきゃあない。
先般の父と姉との決定的な衝突以来、話題はどうしても今後の店の扱いとか身の振り方のことになってしまう。往年の腕ほどではなくなっているとは言え、まだ父でなければと仰ってくださるお客さんは多く、姉が辞めても細々ながら店は続けて行きたい由を再度繰り返す。となれば単純に私の扶養家族として職場から手当てを貰えるかどうかも分からないし、同居するかどうかで支給額も変わってくる。
「そんなこと言われても、先がどうなるかオレだって分からん」と父は言うのだが、それじゃあ申請のしようだってない。私としては姉も交えて一度きちんと話をしてみたい、と思っているのだが、それも父は「せんでいい」と苦々しげに言うのである。全く、どれほど感情的な諍いをしたもんだか。
話題を変えて、時機を見て愛知万博に行かないか、と誘ってみたが、「大阪の万博で懲りたからなあ」と気乗り薄である。
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04月27日(水)
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