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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■若さゆえの過ち/『ななこSOS』2巻(吾妻ひでお)
雨の日、段ボール箱に捨てられていた青年を拾ったハジメ。彼女は青年にテンノと名前をつけ、ペットにする。放送局のあるタレントの付き人になったテンノは、突然起きた大地震で混乱した民衆に的確な誘導を呼びかけてパニックを収めたことをきっかけに、プロデューサー・鍵屋に救国のカリスマとして利用され、「王のない国」の象徴的存在として擁立されていく。そして鍵屋の魔の手はテンノの出自を知るハジメにも伸びていた……。
再演されたということは、初演は大受けだったのだろうか? 一部で笑いはあったが、劇場内は概ね落ち着いている、というよりは白けた雰囲気が漂っている。「みんなで唱和するからショーワ・テンノ」とか、場内はシーンとしている。一言で言ってしまえば、天皇制を揶揄するその視点が、ちょっとだけ政治にかぶれたガクセイの何となくな“軽い”反発の域を出ず、見ていて「もうちょっと世間知持とうよ」とタメイキしか出ないのである。
天皇が所詮は時の政治の傀儡に過ぎないこと、なし崩し的に天皇制が継続していることが、いつかは「時代」によって利用される危険を秘めていること、そういった作者の「不安」は確かに物語を構成する重要なモチーフになってはいるが、結局物語はそれを指摘するところで終わりであり、その先の主人公たちの懊悩もなければ打開策の模索もない。挫折し、開き直って無頼に生きる度胸もない。テンノも鍵屋も仲間たちもみな死に、婆あとなったハジメだけが生き残って何となく空を見つめて終わるという投げやりなラストはいつたい何なのか。
作者としてはこの程度の「からかい」で充分笑いを取れた気になっているのかもしれないが、客の目からは重いテーマから逃げているようにしか見えない。キツイ言い方にはなるが、芝居をなめているんじゃないか、とすら言いたくなる。あまり芝居を見慣れぬ若い客なら簡単に騙されるだろうが、天皇制に対する破壊的なギャグなら、場末の寄席でだってしょっちゅう行われていたのだ。軽いのではなく、ぬるい。結局、「何が言いたいのか分からない」芝居になってしまっているのは『ロジウラ*ラジオ』同様である。これもやはりただの「若書き」なのであろう。
ああ、でも、NGOの連中が、鍵屋に「テンノ制に協力しろ」と言われて拒絶していたのが、「金は何ぼでも出す」と言われた途端に「何でも協力します」と豹変するギャグは笑った。何かを本気でからかうなら、「モジリ」に逃げずに堂々と実名を出さなきゃ意味はない。誤解を恐れずにあえて言うなら、演劇は本質的にテロリズムなのである。
しげは以前も「非・売れ線」の舞台を見ていて、そのときも「今どきなんでこんな芝居を打つのか」と疑問に思ったそうだが、どの時代でも学生気分の純粋真っ直ぐ君はいるものである。そんなに不思議に思うこたない、と言ったら、「作者は絶対そこまで考えてないよ」と断言した。そこまで言い切るのも容赦がなさ過ぎると思うが、確かに「何も考えていない」可能性も大なのだよなあ。
マンガ、吾妻ひでお『ななこSOS』2巻(ハヤカワコミック文庫)。
とりあえず『ななこ』の感想は後回しにして(笑)、『失踪日記』は既に四刷りまで行ったそうである。今日、天神の福家書店でもカウンター横に平積みで何十冊も置かれていて、新聞の書評が紹介されていた。「吾妻ファンは10冊購入しなさい」とまで書かれていたが、実際、お金に余裕があるなら、10冊でも20冊でも買って、知り合い連中に「読め」と言って配りたいくらいである。
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04月09日(土)
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