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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■狂っても人生/映画『新暗行御史』
落ちこぼれて何が悪いか。落ちこぼれたからといって卑屈になり他人を羨むその精神自体が差別的ではないか。その人の人格を見ず、学力だけで内面を勝手に推し量っているくせに、それでどうして自分たちのほうが正しいなどと思いこめるのか。もしも自分が落ちこぼれなかったら、そいつらは決して「ゆとり教育」に反対はしないはずである。目を覚ませ。自分たちが馬鹿なのは誰のせいでもなく自分だけの責任だし、どうしてオレだけひどい目にあっているのだというのはただの被害妄想だ。「ああ、自分は馬鹿なのだな」と気がついたら無理に進学しないで自分の道を探し、さっさと働いたほうがよっぽど人間的には立派だろう。「進学しかない」という狭い判断が自分の人生の道も狭めてしまっているのである。
「でも、せめて高校まで進学しないと就職口がない」とか文句垂れる馬鹿親もまだいるが、それこそ高卒以上しか採用しない「会社」に文句を付けるべきで、批判の矛先が学校や文科省にというのはお門違いも甚だしい。ゆとり教育はもう十年以上前から推進、段階的に実施されてきたもので、そのことはさんざっぱら告知されてきたにも関わらず、対応を怠ったのは企業や会社の方なのである。安上がりだからとか言って外国人の不法就労者を雇ってないで、さっさと中卒に門戸を開け。日本をダメにしてるのはそいつら中小企業だ。
それなのに文科省では「ゆとり教育の見直し」とか言って、「内容の削減はともかく、授業時間の削減はよくなかった」とか言っている。これは全然逆で、授業時間の削減を行って内容を凝縮しなければならないのである。伸びる子はどんどん伸ばし、落ちこぼれる子は落ちこぼらせる。そうしなければ、日本の次代のリーダーは馬鹿どもに足を引っ張られるばかりだ。こんな腰砕けの姿勢じゃ、またぞろ愚民にいいように翻弄されるだけだぞ。いい加減、馬鹿はほっとけ。
夜、シネテリエ天神までアニメ映画『新暗行御史』を見に行く。
東京では昨年のうちに公開が終わっているのだが、福岡ではやっと今月になって公開、でもってモーニングとレイトの二回のみで一週間のみの限定公開。今日がもう最終日である。なんかもー、泣くに泣けんよ(+_;)。パンフレットを買ったら「単行本10巻12月発売予定!」とか書いてあるのな。とっくに買ってるって。
長大な原作を1時間半のワクにはとても収められないので、原作の「新・春香伝」と「曼陀羅華」だけを抽出して映像化。そのアイデア自体は悪くないのだが、何と言っても原作の「序章」における「暗行御史」の初登場シーンの意外さ、鮮烈さにはまさに度肝を抜かれたので、これを映像化してくれなかったのはやや恨みに思う。もっとも、原作ファンはとっくに文秀(ムンス)の正体を知っているわけで、製作スタッフは序章を映像化しても今更だよなあ、と判断したのかもしれない。しかし、映画で初めて『信暗行御史』に出会ったという人もいるはずで、そういう人が改めて原作を読んだらかなり興を殺がれることになる。
本郷みつる脚本は、春香(チュンヒャン)が山道(サンド=暗行御史の護衛)となっていく過程を描く形で二つのエピソードをうまくつなげており、その点でソツはないのだが、ストーリー展開の意外性などは失われていて面白味にも欠ける。いや、それ以前に原作を未読の人間にはかなり不親切な作りになっていて、聚慎が滅びた後、文秀がどうして旅をしているのか、彼がやたら呼吸器を使っているのはなぜなのか、あるいは柳義泰(ユイテ)が島民に外法を施すのはなぜなのか、物語を牽引するための説明が殆どなされない。原作を読んでいる私ですら、画面を右往左往するキャラたちをただ漫然と見せられるばかりで、いっこうに物語に惹き込まれなかったから、初見の方はなおのことだろう。本郷さん、『クレヨンしんちゃん』から身を引いて以降、今一つパッとしないのが寂しい。
劇場公開ではなく、テレビシリーズだったらなあ、とも思うのだが、そうなると作画のクオリティを図れるかどうかも疑問なので、痛し痒しだ。
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02月11日(金)
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