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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『九州発言者塾 第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か』/ドラマ『古都』
 実のところ、みなさんのお話はこれまで著書に書かれていたことを繰り返しているのが多くて新味はあまりなかったのね。けれどやはりナマで話を聞くと、ああ、この人のこういうところに「共感」してるんだなあ、ということは感じるから、一応、聞きにきて損したとは思わないようにしよう(^o^)。
 小林さんの「庶民感覚」という言葉に納得するのは結局は私も自分が庶民でしかありえないことを自覚しているからだ。政治的にはアメリカ・ブッシュに追随しなければならないことは理解していても、原爆落として人道上の罪を犯したとは思っていないアメ公に対して感情的に信頼を寄せる気にはどうしてもなれない。イラクへの自衛隊派遣だって喜んじゃいない。そこで石油がどうとか北朝鮮がどうとか言い出すヤツがいるのだが、そういう「現実主義」の「正論」聞かされたって、納得できないのが「庶民感情」というものなのである。日頃「人間は感情の動物ですから」とか言ってるヤツに限ってそういうときだけ道学者みたく「理性」を持ち出して来るのはちと卑怯に感じるんだけどね、私は。
 もちろん、小林さんの意見にだって諸手をあげて賛成というわけにはいかない場合もある。「北朝鮮がミサイル撃ちこんでくるんだったら、こっちも報復できるようにしなきゃだめでしょ」という意見には「それが口実にされて本気でミサイル撃ちこんできたらどうすんの」と思わないでもない。でもあの国のデタラメさを思えば、「経済制裁は慎重に」という姿勢だけじゃ何も進展しはしないのも事実なのである。結局はどこかで何かを「覚悟」しなければならなくなるのだ。小林さんはそこで「核武装」まで考えているらしく、それは確かに一つの答えではあるのだけれども、私はそこまで踏み切っていいかどうかということになると「やめたがいい」ということにどうしてもなってしまうのである。なぜかって、私は基本的に日本人を、人間を信用していないからなのだ。つか、“全ての人間を信用できる”楽天家でないと、「核武装が戦争抑止に繋がる」とは言えないのではないか。
 人間は弱い動物である。それは肉体的にも精神的にもそうだ。プロメテウスが火をもたらしたことは、人間に「知恵」を与えもしたが、同時に「戦争」をも与えた。どんなに平和を望もうと、いったん与えられた「技術」を冷静にコントロールできるメンタリティを人間は持ちえない。諸刃の剣が使われなかった例がどれだけあるか。「専守防衛」は既に拡大解釈されて「イラク派兵」という形で行使されている。「イラク派兵反対」を唱えるなら、「核武装」も否定しなければならないんじゃないか。小林さんだって、「武器を持ってるだけで使わずにすむ」と思っちゃいないと思うんだけれどもねえ。

 講演後はパネル討論。
 清水氏がまず口火を切ってこう語る。
 「今、学校では弁論大会をやらなくなった。その代わりにディベート大会なるものをやる。『原発についてどう思うか』というテーマで、賛成か反対かを討論させるのだが、自分の意見を言わせるのではなくて、予め賛成か反対かの立場をクジで決めて、ネットで情報・根拠を集めて討論させるだけだ。しかも、トーナメントで勝ち進んで行くと、さっき賛成だった生徒が反対の立場で意見を言わされることもある。こんなアメリカ追随の、定見を持たせない教育があっていいのか」
 西部氏が補足して説明する。
 「アメリカは徹底した個人主義の国だから、ともかく自分の意見を押しつけようとする。だから『他人の立場に立ってみる』という形のディベートもそれはそれで意味があった。しかし、日本がそれをそのまま導入しても意味はない。なぜそんな無意味なことが行われるかというと、結局は日本人からコモンセンス(常識)が失われているからだ。しかしそのことで学校教育に期待しても限界がある。教育は『知育』と『徳育』に分かれるが、今失われているのは『徳育』の方で、それは家庭において、地域においてなされるべきで、その復活が必要だ」
 そこで小林氏が場を盛り上げようと極論を言う。
 「知識はマンガ読んでれば手に入る。わしは学校で習う前に『影』の字が書けたけど、『伊賀の影丸』のおかげだ」
 最後に佐藤氏が「何事にも中庸が必要で」とまとめる。

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02月05日(土)
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