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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■中尊寺ゆつこさん、死去/DVD『きまぐれロボット The Capricious Robot』
「初心者向け」すぎる作品のセレクト自体に問題がないかどうか、ということもあるのだが、作画技術がすばらしいのに、「これはおもしろい」と賞賛できるエピソードが少ない。というか、一本一本を見ていくうちに、そもそも「星新一は映像化には向かないのではないか」という疑問が心中沸々とわいてくるのである。
星新一の本質を一言で表現するならそれは『未来いそっぷ』である。未来を想定した寓話であって、だからこそ舞台や登場人物は無国籍、N氏やF氏の姿や年齢は読者の想像に任される。それはイソップが登場人物の殆どを“無国籍”な動物に仮託して人生の真実を語らせた手法と同じである。どんな物語も小説も、時代、風俗、文化などの変化によって古び、その価値が変容することから逃れられはしないが、そこに少しでも普遍的な真実を与えようとするならば、主人公はやはり“象徴”としての無名氏でなければならない。すなわち、彼らに具体的な「姿」を与えること自体、それは星新一作品を否定することになるのだ。
実際、狂言回しの博士のキャラデザインを見て、「なんじゃこりゃあ?!」と思ったファンは多いのではないか。寸詰まりのエーリッヒ・フォン・シュトロハイム(『マジンガーZ』でドナウα1を製造した科学者)みたいな姿はどう見てもマッド・サイエンティスト。しかし、星新一の想像した科学者は全部が全部、マッドな存在だったかどうか? 科学者は全てマッドな存在となりえる危険があるという寓意はあったとしても、それをデザインで予め提示してしまうのは解釈が根本的に間違っているのではないか。更に言えば「ずーっといいのよーん」なんてギャグにもならない陳腐な言い回しのセリフを喋らせるのは星新一に対する冒涜ですらあるのではないか。
アニメーションとしては傑作だが、星新一としては駄作。アニメ『きまぐれロボット』はそんな印象である。もっともガイナックスの『小松左京アニメ劇場』みたいな超駄作に比べたらはるかにいい出来ではあるんだけどねえ(いしかわじゅんのキャラデザって段階でどうしようもなかったんだが、誰も止めるやつはいなかったのか)。
いや、映像化自体に無理があるのなら、いっそのこと、星作品1000作を全編アニメ化してくれないか。それで、日曜の朝とか夕方5時台の帯番組とか、ともかく再放送を何十年も繰り返すのだ。そんなふうに『まんが日本昔ばなし』なみの作品数で「質より量」の展開を図るなら、たとえイメージと違う話があっても星新一作品の宣伝にはなると思う。SFの普及を本気で考えるなら、今時はそれくらいやらないと効果はないのである。
マンカ家の中尊寺ゆつこさんが、31日朝、S字結腸がんで死去。享年42。
オタク的なマンガは一切描かなかったので、私もそんなに注目していたわけではなかったが、それでもウチには『お嬢だん』の単行本がある。「風俗」(エッチな意味ではないよ)を描くことはそれこそ『北斎漫画』以来と言ってもいいマンガが持つ使命の一つである。「オヤジギャル」は名前を与えられた90年代こそ、ある意味特権的で目立つ存在として時代を象徴するオピニオンリーダーたりえた面もあった。しかし、現代女性にとっては、「女性のオヤジ性」なんてものは誰もが持っている一面に過ぎず、珍しくもなんともない。今やオヤジでない女性を探し出す方が困難である。その点で、いしいひさいちのような批評性を持たない「描写」のみで作られている中尊寺さんのヒット作のほとんどは、今や読むに堪えないものになってしまっている。しかし、「風俗」が時代とともに古び、忘れ去られていくものだからこそ、それを描きとめていく必然性がマンガにあることも事実なのだ。
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01月31日(月)
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