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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■通りすがりさんはどこをどう読んでるんでしょうか。
加害者少女はまた、自分には親が死んでいない旨の詩を書いてもいる。もちろんこれは事実に反している。まさか寺山修司に影響を受けたわけでもないだろうが、そのように自らを仮構した少女の心理に、ある種のヒロイズムを見出すことは簡単ではある。しかしそういう分析が事件の本質を解析できるかどうかという点について言えば、私にはさしたる意味があるようには思えない。分析とは基本的にその対象の「特殊性」を浮き彫りにすることであるが、となれば分析が最も困難なのは「平凡」ということであり、彼女の最も明確な「特徴」がまさにそれだからである。
今日は休日出勤で、半日仕事。
昼、しげに迎えに来てもらって、昼食は久しぶりの「ジョリー・パスタ」。カルボナーラとたらこスパゲティ、それぞれハーフサイズなので、量的にはたいしたことがない。イタリア系の料理は油をたっぷり使っているので、このあたりの配慮も必要になってくる。
食事中、今度の公演の話をダラダラとしたのだが、一応、しげは今度の公演を最後に「引退」するつもりでいる。と言っても、芝居をやめる、という意味ではなく、「もう好きなことしかしたくないので、劇団内に『自分同好会』を作る」ということらしい。今までと何がどう変わるんだか私にはよく分らないのだが。
芝居は一人で作れるものではないのだから、当然しげは、「これはこうしたらいいんじゃないのかな?」と意見をみんなに求める。それに対して、賛同する人もいれば反論する人もいる。何も言わない人だっている。しげだって、自信をもってものを言っているわけではないけれども、言うときは言わないといけないと思う。だから、懸命にないチエを振り絞ってモノを言うのだが、そういう自分から見ると、「意見を言わない人」は、どうして何も言わないのか、その理由が分からない。「意見はないの?」と聞いても「ないです」と答えられてしまっては、それから先、どう会話を続けていけばいいのか。そういうやりとりにはもう疲れてしまったから、これからは話がツーカーで通じる相手だけ誘って、芝居を作りたい、ということだとか。もちろん、劇団として何か芝居を作る相談があって、それに誘われれば参加してもいいと考えてはいるのである。
自分がうまくことを運べないのは、しげ自身、頭が悪いからだと思っている。それで私にこう聞くのである。
「アタマがいいってどういうことなのかなあ?」
頭の悪い私にそれ聞いてどうするかねえ(^_^;)。
けれども、「会話ができる」という視点でものを考えれば、「頭がいい人」というのは、相手のレベルに合わせて言葉を選べる人である。
「コトバ」は一般的に考えられているような、「意味を伝達する道具」ではない。「コトバ」によって規定された「意味」は、語り手から放たれた途端に揺らぎ、常に「誤解」される運命にある。だからその意味をより正確に受け取るためには、受け手のキャパシティーが広いことが前提条件となる。でもこのキャパの広い人間がなかなかいないから、会話が成立しない、という現象は実に頻繁に起きてしまうことになる。このあたりのことを分かりやすく説明するのがまた難しい。
「たとえばさあ、『完全な人間はいない』ってよく言うじゃん。このコトバ自体は間違ってないよね」
「うん」
「『医療にミスは許されない』というコトバもある。これも納得するよね」
「まあね」
「じゃあ、医療ミスを犯して患者を死なせた医者を『完全な人間はいない』と言って擁護できるかってことなんだよね」
「それは……」
「つまりコトバってのは、それが語られる背景となる前提条件があって、それは実は全て全部違う次元にあるものなんだよ。だから違う次元のコトバをつき合わせたって、矛盾が起こるばかりなわけ。だから『アタマがいい人』ってのは、相手がどういう次元でそのコトバを発しているのか、理解できる人ってことになるんだな」
「じゃあ、何も喋れないっていうのは?」
「厳しい言い方になるけど、『語るコトバがない』ってことは前提となる条件を共有してない人なんだよ」
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06月05日(土)
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