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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■映画トラブルあれこれ。
「悪役中の悪役たるジャスティス、彼は恐ろしくパラダイスキングを思わせる」なんてのも『クレしん』映画くらいしか見てないんだなあというのが丸分かりで、どうもジョン・ウェインすら知らないらしい。昔の映画をまるで見てないのは若い人の共通項みたいなものだから、もう今更責めたって仕方ないとわかっちゃいるのだが、『クレしん』映画を批評する例えとして『クレしん』映画を引用したって何の意味もないってことに気が付いていない。一応その人本人としてはこのあたりで『カスカベボーイズ』を誉めているつもりなのだろうが、阿呆が誉めると映画自体が阿呆に見えてしまうので、逆効果にしかなっていないのである。どうにも困ったちゃんである。
極め付けのトンチンカンな文句は次の一節である。
「ただ、どうしても私としてはこの映画を良作であると結論づけながらも、前作『ヤキニク』にシンパシーを感じざるを得ない。『ヤキニク』のごとく、シチュエーションコメディよりもギャグ映画を目指した作品は“映画”として“奇形”にならざるを得ず、その“奇形”こそが私のような人間をひきつけるのだ。同時に、それが『ヤキニク』があれほど世間の理解を得られない理由の最たるものであるのだけれども」
ああ、この人は喜劇映画を殆どマトモに見たことがないのに喜劇映画を語っているのだなあ、と脱力してしまった。「シチュエーションコメディ」に対置する概念は「スラップスティック・コメディ」であって、「ギャグ映画」などというものではない。説明するのも馬鹿馬鹿しいが、「ギャグ」は喜劇を成立させる要素であって、それはシチュエーション・コメディにもスラップスティック・コメディにも存在する。このあたりの用語の間違いも文意をかなり意味不明にしてしまっているのだが、更にアタタなのは、コメディが「映画として奇形にならざるを得ない」というくだりだ。この人はキーストン・コップスからバスター・キートン、ハロルド・ロイド、チャーリー・チャップリン以降のもろもろのコメディアンたちの映画を全て「奇形」と切って捨てる気なのだろうか。見てないからこそこんなことが言えるのだろうが、見ていてこんな発言をしているのであれば、これは相当な阿呆である。全くいったいいくつなんだ。中学生くらいか? この人。
前作『ヤキニクロード』が世間の理解を得られない、というのも、いったいどこの「世間」の話なのだろうか。昔から『クレしん』映画は認めている人は認めていたし、観客動員も決して落ちこんではいない。無知にもちょいと程があるというか、どうも自分の妄想だけでモノを語るタイプのトンデモさんのようである。
映画の歴史も知らず、映画自体もまるで見てないのは、その人がそういう巡り合わせだったのだろうから仕方がないとしても、そんなんでヘタに「映画論」を偉そうに語っているのがお笑いなのである。……にしても、ここまでの馬鹿はちょっと珍しいぞ。どこの馬鹿サイトか紹介してもいいのだが、往々にしてこういう手合いは粘着さんだから、逆恨みでヒレツなことをされてもめんどくさいのでどこかは書かない。
ネットが一般化して以降、こういうぱーぷーな猿言が横行するようになってしまったが、つくづく思うのは「日本にはもう批評は存在しえない」という小林信彦の箴言である。昔は高校や大学などでもクラブやゼミやサークルとかが少しは機能していて、阿呆な意見が飛び出してもセンパイたちからたしなめられていたものだったが、年齢不詳経歴不詳なネットからはそういう機能が全くなくなってしまった。
それはまあ、憂えるべき事態ではあるのだけれども、ネット上の発言は今や全て拡散して、一つ一つの意見は重みを失ってしまっている。こういう馬鹿な意見ばかりではなし、『カスカベボーイズ』に関しては快楽亭ブラックさんや唐沢俊一さんのようにプロの方がちゃんとした批評をしてくださっているので、我々はこういう泡沫猿言を目にしたら嗤ってやってればよいのであろう。
……でもだからってわざわざ教えてくれなくてもいいんだけどな。
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04月22日(木)
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