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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夢の中では生きられない。
 しげは自分がたった4冊しか本を見つけられなかった事実を、やはり認めたくはないようだった。しかし、事実は事実としてそこに厳然としてある。これはしげが人より劣っているということではない。自分を自分として定着させられない、心の病気なのである。しげ自身が自分の心と対峙する意志を持つようにならなければ、状況の改善はありえない。ここ数ヶ月、病院に通うようになったのも、自分を変えたいと思う意志の表れではあったのだが、この実験に賛同したのも、もし自分が本当に記憶を失いやすいものなら、それがどの程度のものなのか自覚したい、という前向きな姿勢が芽生えて来たのだと言えるだろう。この実験がすぐに「成果」に結びつくかどうかは分からないが、一歩は踏み出したのだと信じたい。


 早朝、4時頃であったか、仕事帰りのしげがいきなり私を叩き起こした。
 「見て見て♪」と喜色満面で差し出したのは、しげの携帯である。「何だいきなり」とまだ視力の戻り切らない眼をこすりこすり見てみると、携帯の表にも裏にも、ブルース・ブラザーズのエルウッド・ブルースこと、ダン・エイクロイドの写真が貼り付けられている。しげがキャナルシティの屋台に注文していたやつだ。
 「あれ? いつ取りに行ったん?」
 「夕べ、仕事行く前。シール貼ってもらうのに1時間くらいかかったんで、仕事に遅刻しそうになって焦ったよ。職場に『もしかしたら1時間くらい遅刻するかもしれません』って連絡も入れて」
 「で、遅刻したの?」
 「ギリギリ間に合った。もしホントに遅刻したら、なんて言い訳しようか悩んだと」
 「お前はあほか。別に昨日やっさ(=無理に)取りに行かんでも、今日でもよかったやろう」
 「だって、あんたから『もう出来てる』って聞いてたから、待ち切れなかったんだもん!」
 そう言ってしげは、別に頼みもしないのに「ホラ、窓にもダン」とか言いながらまた携帯を見せびらかす。屋台のご主人からは「ブルース・ブラザースですね。こんなの世界にただ一つですよ」とか言っておだてられたそうで、すっかり舞い上がっているのである。
 30年くらい前、まだ海外旅行に出かける日本人の数が少なかったころ、クラスに一人くらい「夏休みはパパとハワイに行って来たんだ」なんて言って、鼻を尖んがらせて威張ってたスネオみたいなやつがいたものだったが、今のしげはあれにソックリである。たかが携帯一つでそこまで有頂天になれるのかと思うと、全くみっとも恥ずかしいんだけれども、熱に浮かされてるアホウに何を言ってもムダである。しばらくはしげの周辺で「被害者」が続出すると思うが、犬に噛まれたと思って諦めていただくほかなさそうである。


 昼間はせっせとコンテンツの更新。けれど朝早く叩き起こされたので、急激な睡魔に襲われて、パソコンの前で口開けたまま眠ってしまった。ふと目が覚めるともう夕方。今日は劇団の練習にも顔を出すつもりだったのだが、もう間に合わない。慌てて千代町のパピオまですっ飛んで行ったが、ちょうど其ノ他君、鴉丸嬢、しげが外に出てくるところだった。
 出かける時、あまりに慌てていたので、玄関から飛び出した時、ズボンを履き忘れてトランクス一丁だった、と話すと笑われた。当たり前だが。
 「で、どこまでパンツ一丁だったの?」
 「玄関の外までだよ。エレベーターに乗る前に風で下半身が寒いのに気づいて、引き返したから」
 「じゃあ、風が吹かなかったらそのまま外へ……」
 吹かなくても気づくって。念のために言っておくが、こういうドジはたまにしかないのである。しげじゃないんだから。

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03月28日(日)
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