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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■文春顛末と『ラストサムライ』と『牛乳屋フランキー』
 これまでにマスコミは筒井康隆の『俺に関する噂』もかくやというほどの「私人」の「プライバシー」暴露をやらかしてきた過去があるから、感覚が鈍磨していると思しいが、まず、長女さんをターゲットにした時点で、「間違い」を犯している点に気づいていない。記事にするなら、長女さんが実際に「政界進出」してからにすべきでしたね。「あの程度のことを書いて、プライバシーの侵害になるのか」という意見は、記事にする対象を間違えた時点で言っても意味がないことである。
 しかし、ここで指摘しておきたいことがある。ここで記事にされている「あのこと」が、そもそもニュースヴァリューを持っているという文春の判断、そして記事にしてほしくないと考えた原告の判断、その二つともが「そのこと」自体に対する偏見で成り立っているということだ。文春は、「そのこと」が、長女さんの「汚点」であると思っているから、「報道価値がある」と判断した。長女さんは、「そのこと」が世間に広まることが「恥ずかしい」ことだと思ったから出版差し止めを要求した。
 けど、「それ」は「汚点」でも「恥ずかしいこと」でもない。長女さんと同じ経験をしている人は世の中に腐るほどいるわけだけれども、そのことをみんなが恥ずかしがっているのだろうか? 「性悪説の立場に立てば」と書いた通り、現実として、そのことを「汚点」と考えて笑いものにするヤカラは世間に腐るほどいるだろう。他人の善意を信じて、「こんなこと周囲のみんなは気にしないでいてくれるだろう」と判断するのは甘い。長女さんの活動が、この記事がもとになって阻害されることは確実にあると思われる。訴えを起こして、記事の流布を止めたいと思った心情は察せられはする。
 がしかし、そこで長女さんが訴えを起こしたことは、長女さんと同じ立場にある人たちを蔑んでいるに等しい行為でもあるのだ。長女さんは明らかに「自分が傷つくこと」しか考えていない。今回の騒動を起こしたことで、何万の、何十万の人間が傷つくことについては、一片の思いもいたされてはいないのである。これは、現代人の「傷つきやすい症候群」「被害者ぶりっこ」が、かえって誰かに対する加害者となってしまう典型ではないか。プライバシーを暴露されただけなら同情もされたであろうが、訴えまで起こせば「ふざけるな馬鹿野郎」という罵声が長女さんに浴びせられても、これは仕方のない行為なのである。
 じゃあ、長女さんは、訴えを起こさないで、ただ忍従していればよかったのか? それも一つの手ではあるだろう。しかし、訴えを起こすくらいの行動力を持っているのだから、それこそ他のメディアの取材に応じて、文春がいかに人権を侵害しているかを糾弾するキャンペーンを張るくらいのことをすればよかったのである。その時注意しなければならないのは「自分が傷ついた」ことを前面に出すのではなく、現代日本の、「そのこと」を「汚点」とする報道の精神の歪みそのものを追及することである。そうすれば、「この程度のことを報道されたからって、怒る方がおかしい」と感じている世論が、「この程度のことをわざわざ個人の欠点であるかのように報道する方がおかしい」という方向に傾いていくことだろう(「私憤を公憤にすりかえた」と揶揄する向きは残ろうが、たいした影響はない)。両者は、ベクトルは逆だが、発想の根は同じなのである。……この程度の情報操作もできないようなら、仮に長女さんが政界進出を考えていたとしても、海千山千、魑魅魍魎の中を渡り歩いて行くことは難しかろうと思う。やめといたほうがいいね。
 もう一つ、裁判所の判断もおかしいのは、仮にプライバシーの流出を阻止する目的だったとしても、当該記事の削除だけを指示すればよいことなのに、「発禁」を指示したことである。雑誌の他の記事を公共の目から抹殺していい権利など、裁判所にも長女さんにもない。「表現の自由」を侵害されているのは、当該記事ではなく、その他の執筆者の人々なのだ。作家さんたちと、文春の連載を楽しみにしていた読者は、みんな揃って裁判所を訴えたらいいと思うがどうかね。



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03月19日(金)
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