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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『座頭市』と『フイチンさん』と、長さんの死
 朝は寝過ごしてまたまた『セーラームーン』を見逃す。なんだか本気でDVDがほしくなってきたのだけれど、しげが怒ることは確実なので、どこかに落ちてないかと目を皿のようにして道端を探しているのだが、残念ながら落ちていない。いや、落ちてたからって拾わせてもくれなかろうが。


 今日は外出せずに、一日、DVDを見たり、コンテンツの更新に費やしたりする。
 『カレイドスター幻の大技BOX』、『座頭市』、『八つ墓村(市川崑版)』、『ドグラ・マグラ』など。どれもコンテンツにアップしたい内容のものばかりだけれど、いったいいつの日になるか見当もつかないのである。『ドグラ・マグラ』は鴉丸嬢も原作読んでて(途中までだそうだが)見たがってたから、早いとこ書いたげたいのだが。
 『座頭市』の「結末の謎」についてだけ書いておくと(もうネタバレ書いてもよかろう)、映画見終わったあとで私としげとで「市は、本当は目が見えたのかどうか?」という点で論争になっていたのである。「いくら目ン玉ひん剥いても、見えねえものは見えねえんだけどなあ」という市のセリフの解釈が、しげと私とで違っていたのだ。そのセリフの直前に市は石に躓いていて、しげは「目は見えているけれども、やっぱりものに躓くことはある」と解釈し、私は「目が見えるふりをしていたけれども、ホントはやっぱりメクラだった」と解釈したのである。英語字幕ではこれが“Even with my eyes wide open…I can’t see a Thing!”となっている。つまり、「私の両目は大きく開かれてはいるけれども、ものを見ることはできないのだ!」という意味。これが誤訳でない限り、市は完全にメクラだったということにしかならない。私の解釈の方が正しかったということになるが、話の流れからして、市が「メクラのフリをしてたただけ」って終わり方はあんまりだからねえ。どんでん返しのも一つどんでん返しで、ちゃんとメクラだったってことにしないと、客も納得しないし、続編だって作れないものな(^o^)。それにコンタクトレンズを入れたたけしの眼、全く焦点が合ってないもの。
 しげに、「ホラ、やっぱりオレのほうが合ってたよ」と言ったら、しげ、「……そういうことにしといてやらあ」と負け惜しみ。これだから吉本ギャグで育った人間は(-_-;)。


 唐沢俊一さんの「裏モノ日記」3月17日(水)付けの文を読んでいたら、上田とし子のマンガ『フイチンさん』がアニメになったという記述があった。
 「『フイチンさん』かあ、懐かしいなあ、昔、近所の貸し本屋に置いてた虫コミックスで読んだなあ」とか思ったあとで、昭和30年代のマンガが、今この21世紀にアニメ化されるという事実にようやく思い至って、「今なぜ『フイチンさん』?」と素朴な疑問を抱いた。
 制作会社の「あにまる屋」、「子供のために本当にいいアニメを」という意図で作ったということであるが、戦前の満州国のハルビンを舞台にして、大金持ちの坊ちゃんの世話係になったお転婆なフイチンさんのドタバタ騒動を描く、と聞いて、イマドキのウンチク垂れのこまっしゃくれたガキンチョどもが(そして親も)興味を示すものだろうか、と心配になった。
 つまらないマンガではないのだ。描線も美しく、揺るぎがない。今読んでも私は充分に面白い。ひさしぶりに本棚から『フイチンさん』を引っ張り出して読み返してみたが、読み終えるのがもったいないくらいに熱中してしまった(私の持ってるのは最初の虫コミ版ではなく、1976年発行の講談社漫画文庫版である)。
 デパートで支配人のキュウイから、「何でも好きなものを買っていい」と言われて、「じゃあ、私はなにも要らないから、門番の父ちゃんに」と答えるフイチンさんの素直さを見ていると、胸が熱くなってくるのを堪え切れない。こう言いながらもフイチンさんは自分の低い身分を嘆くでもなく、ひたすら元気に屈託なく振る舞っている。つまり、日本人がコメディを書いたときに陥りやすい「お涙頂戴」の湿っぽさから免れているのだ。

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03月20日(土)
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