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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■何となくな再開。
以前、同僚から『探偵小説の社会学』(内田隆三)という本を借りて読んでみて、面白かったので、探していたのだが、店内のナビには「在庫あり」になっていたのに、実際に指定の本棚に行ってみたら、手帳しか置いてなかった。店員さんに聞いてみたら、ナビの記録は9月3日の時点のものだそうだ。そんなのナビの役目、果たしとらんぞ。ただでさえ天神地区の書店競争が激しいってのに、大丈夫か紀伊國屋。
天神コアのレストラン街、行き着けだった店が二つも閉店している。トンカツのサービス券が一つ、無駄になった。それはそれでもう仕方がないのだが、新しく出来たもんじゃ焼きの店、店員の応対がえらく悪い。注文を二度も確認したのに間違えて、しかも「すみません」の一言もなく「今から作りなおすことになりますよ」ときたもんだ。日ごろあまり店員さんにクレームをつけたりはしないのだが、さすがにカチンと来て、「注文はちゃんと取りましょうよ」と言ってしまった。ようやくそこで店員さんは「すみません」と言った。
評論家の斎藤美奈子さんが今月の『言語』で、「若い人の言葉遣いに腹が立ったら、その場で注意しようよ」と書いてあったが、状況によってはそれもよしあしだよなあ、とは思う。逆恨みしかしない若い人はいくらでもいるからである。
でも、世の中、ものわかりのいい優しい爺さん婆さんばかりになっちまって、頑固ジジイや因業ジジイが随分少なくなってしまった。さあ、果たしてそれはよい傾向と言えるかどうか。ものわかりのいいことが相手の価値観を認めていることにはならないというのはトシを食って思うようになった実感である。時流に迎合しただけのたいした根拠もない浮かれ気分の発言をさもマトモな考えのように誉めそやして、それもまた時代の流れで仕方がないよと言うのは簡単だけれど、それってかえって相手を馬鹿にしてることにはならないか。
いや、確かに馬鹿にしているのである。鷹揚なフリをして、その実、腹の底では「どうせこいつらは」という目で見ているのである。そういう下劣な態度ばかり取っていたら、そのうち感覚が麻痺して自分がいかに卑劣な態度をとっているか、自覚することすらかなわなくなってしまうだろう。それって、ボケより悲惨な状況ではなかろうか。
……今度、どこぞの店で「この席でよろしかったでしょうか?」なんて聞かれたら、ためつすがめつした上で「よろしくないですね」と言ってやることにしよう。いいのかほんとに(-_-;)。
帰宅して、『トリビアの泉』を久しぶりに見る。正月からこっち、休みの週もあったので見損なっていたが、なんだかいつにも増してつまらない。何をどう「へえ」と面白がっているのか、皆目見当がつかないのだ。そろそろこの番組も終わりが近いと見たがどうだろう。
夜中に、先に寝ていたはずのしげが「カレーうどんが食いたい」と言って起き出してきたので、仕方なく作ってやる。この甘えグセがいつまで経っても治らない。そんなに食いたきゃ食えとばかりに3人前作ってやったら、「こんなに食えん」と文句をつけた。もちろんこれは「こんなに(いっぺんには)食えん」という意味なので、どうせ明日には全部きれいに平らげているのだ。昼間は私は仕事で飯を作ってやれないので、これでちょうどいいのである。
01月28日(水)
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